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2005年05月23日

やっと見た 攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX

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 「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX DVDボックス」『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』のDVDを頂戴したことを書きましたが、ようやく全部見ました。

 正直、テレビシリーズということで全然期待していなかったのですが、非常に面白かったです。久々に睡眠時間を削っても続きが見たくなりました。
 回によって作画の質・方向性に随分バラつきがあるような印象を受けたのですが、おそらくは大変過酷な条件で制作されているテレビ作品としては、とても良い出来なのではないかと思います。
 「笑い男」シリーズ以外の一話完結ものとしては、荒巻がイギリスでかつての恋人と再会する第17話などがお気に入りです。ちょっと『パイナップル・アーミー』っぽいエピソードですね。
 バトーにメロメロのわたしとしては元ボクサーを潜入捜査する16話も良いです。もう少し盛り上げることもできたネタだとは思うのですが。というか「疑体の隙」って何ですか。普通のカウンターにしか見えなかったのですが(笑)。サイボーグOKでは厳格な階級制によるボクシングなどそもそも成り立たないのでは、などという下世話なツッコミは置いておきましょう。
 とにかく素子のコスチュームとタチコマの声以外はかなり気に入りました。もう、あのハイレグだけは勘弁して欲しいです。素子というキャラは好きなのですが、あの衣装設定はどういう趣味から来ているのかさっぱり理解できません。気持ち悪いです。
 わたしは「アニメファン」ではまったくないので、一般視聴者の方がどう受け止めたのかはよくわからないのですが、一連の攻殻機動隊作品同様、普段まったくアニメをご覧にならない方にこそお勧めしたいです。

 攻殻機動隊(というか、士郎正宗、そして押井守作品)で語られる主題の一つとして、「虚構と現実」という既に手あかにまみれたテーマがあります。
 その一つの基本的な枠組みは、

1 裸でリアルなものはない
2 すべてはフィクションである
3 だがフィクションの前で立ち止まることは許されず、虚構と知りながらその中にリアルを求める

 というものでしょう。
 これは伝統的な表象理論の問題、さらに唯名論争にも連なるもので、別段目新しいものでも何でもないのですが、逆に言えばわたしたちの思考の枠組み(言語構造)の根底に横たわっている問いだということです。
 表象(representation)というものについて少し触れておけば、例えば、わたしたちの感覚というのはあくまで視覚や聴覚といった限定的な物理構造に制約されたものです。対象自体を直接とらえられるわけではありません。もの自体を直接知覚するのではなく、それを受け取った像(re-presentation)を認識しているだけ、ということです(ここで言うもの自体とは物理学的な枠組みでの物質とも更に違いますが、とりあえず置いておきましょう)。
 それでもわたしたちが世界について何がしかを認識できると考えるのは、表象とものの間に何らかの関係があると思われているからです。両者には「類似」という関係がある、などです。
 しかし、もしもの自体が絶対認識不可能なのだとしたら、世界そのものと世界の像の間に「類似」が成り立つなどと、どうして言えるのでしょう。とらえられないものととらえられるものが「似ている」などとは、原理的に言及不可能なはずです。

 極めて大雑把な説明ですが、このディレンマからはいくつかの帰結が生まれます。
 一つは「存在するのは表象=見えだけであり、その向こうには実体などない」というスタンスです。
 今一つは「とらえられないながらも実体はある、見えはやはりそこへの漸近なのだ」という立場です。
 わたしたちが日常生活で「正常」な精神を保つためには、多かれ少なかれ後者の考えを採択するより他にありません。前者は懐疑論にも通じる世界からの無限後退であり、本気でこんなことを考えていたら普通の暮らしもままならないからです。
 しかし純粋に冷静に思考するなら、後者の理屈が理屈になっていないことは自明です。「やはりある」などと言っても、何がどう「やはり」なのかさっぱりわかりません。原理的に到達不可能な以上、確認することなどできないのが当然なのです。

 では両者をどうやって仲裁していけば良いのでしょうか。
 懐疑論は本質的に論駁不可能です。懐疑論は「正しい」のです。
 世界はすべてわたしの妄想かもしれないし、夢かもしれません。これをstatementによる閉じた論理の中で反証することは不可能です。
 ですから、ここでの議論は一見「世界の認識」という冷たい問題のように見えながら、倫理的審級、行動の次元を考えないと先へ進めない性質のものなのです。というより、正にここにおいて論理と倫理は出会うのです。

 すなわち、

1 ナイーヴな第一段階としての実在論
2 それへの「普通の」思考のステップとしての懐疑
3 懐疑を抱きながら、実在を前提に行動

 という枠組みです。

 別の例えを出しましょう。可能無限と実無限というものがあります。
 例えば円周率。円周率はいくら計算しても計算し尽くせません。この時円周率というものがとにかく存在するが、計算はできないのだ、と考えるとしたら実無限的、実在論的です。そうではなく、「円周率の計算方法」だけが存在するのであり「円周率」が存在するのではない、としたら可能無限的です。
 また別の言い方をすれば、可能無限的スタンスとは相対主義的でもあります。
 「Aという考えもある、Bという考えもある」という第三者的見方は、Aをナイーヴに信じているだけの状態よりは一歩前進です。少なくとも自分の考えを人と比べて「客観的」に眺められるようにはなったのですから、まともな知性の持ち主ならこちらへ進むのが当然でしょう。
 しかし「それも良い、これも良い」だけでは何も決まりません。相対化したといっても、自分はやはりその中の一項であり、バイアスから完全に脱却することはできません。そして考えている間にも時間は流れますし、人生はもう始まっているのです。
 結局、わたしたちは上のステップを踏んでとにかく行動に出るしかありませんし、それは往々にして完全な相対化(客観化)などできていない段階で選ばなければならない一歩です。

 三段階といっても時間軸上に奇麗に並ぶことなどまずあり得ず、バイアスの解除もままんらないながら、とにかくバイアスと心中するような行動をとるしかないこともあるでしょう。むしろそれが普通の生活です。
 その中でいかに2という知性を忘れないでいられるか、そして2を抱きながらも3へ進む勇気を保ち続けるか、そこにこそ人の値打ちがかかっているようにも思います。


 『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』とは全然違う話になってしまいましたが、とりあえずお勧めです。『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』も続けて見ています。


攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG 01 6,300円

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