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2005年09月25日

「明るくやる気のあるヒト」なアルバイト求人情報の求めるもの

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 先日こんな求人情報の張り紙を見つけました。

「明るくやる気のあるヒト」なアルバイト求人情報

 「明るくやる気のある方、待ってます」。
 どこにでもあるホール係アルバイトの募集です。
 でもふと思うことがあります。

 「やる気」については、確かにどうでもよいことはないでしょう。アルバイトの求人ですから、仕事をしてくれないと困ります。
 また、この張り紙はホール係の募集ですから、あんまり暗いヒトでも確かに不適当だとは思います。
 でもたとえば、これがデータ入力のアルバイト募集だとしたらどうでしょう。その場合でも「暗くてやる気のない人可」というキャッチはあり得ません。
 ただデータ入力に性格の明るさが重要だとは到底思えないし、めちゃくちゃ陰鬱だけれど入力だけは異様に速い、という人がいたら、無駄に明るいだけの人より優秀なはずです。
 さらに言ってしまえば、「やる気」すら本質的ではありません。
 世の中にはやる気は全然ないけれど仕事はデキるという人が存在します。かっこつけてやる気がないフリをしているだけかもしれませんが、とにかく仕事というのは結果がすべてですから、本人の気持ちや意欲などということは極言すればどうでも良いはずです。もちろん、一般的にはやっぱり気持ちが向いている方が仕事もはかどるものだとは思いますが。

 単にまぜっかえしているわけではありません。
 また、「性格で就労差別するな!」などという能天気なことを言いたいわけでもありません。
 散々揚げ足取りをしましたが、この求人情報はちゃんと正しいのです。

 たとえやる気が空回りしていても、ただ単に性格が明るいだけでも、あるいは正にそれこそが大きな意義を持っています。
 「職場の雰囲気」などということを言っているのではありません。また「仕事のフリをしていることが仕事そのものより重要なのさ」などと悲哀ぶったことでもありません。
 どういうことかというと、仕事でも何でも一見「生産」を目的にしているようなものは、あたかもある目的に向かって一直線に機能していて成果物に対する対価を還元してもらっているように見えるのですが、実はそれは現象にすぎないのではないか、ということです。
 日々労働していると、そこで作り出した生産物、あるいはサービス、時にはただの時間に見えるものを提供して、利益をあげたりお給料をもらったりしている気分になります。まぁ普通に暮らしている分にはそれだけわかれば十分です。
 しかし同じような努力でも、たとえば部屋で腹筋を何百回しても、誰も給与は支払ってくれません。どこからも利益は得られません。「それは社会に貢献していないからではないか」と言われるでしょう。半分は当たっています。しかし欠けているのは「貢献」ではなく、ただの関係性です。
 生産物もいずれ消費され廃棄されるわけですから、大切なのはそこで局所的に起こった「貢献」ではなく、つながっていてグルグル回っている感じそのものです。「金は天下の回りもの」と言いますが、めぐり巡ってくれるから値打ちがあるのであって、一箇所にあったらただの紙や金属片です。勢い良く回ることを「景気が良い」と言うのです。
 「当たり前じゃないか」と言われるかもしれませんが、そうすると最初の「明るくやる気がある」というのもとても大切になってくるわけです。極端な話、何一つ生産していなくても関係性の中に入ってそれなりに関係を演出できればそれで合格、というよりそれこそが一番大切なのです。
 というのは、グルグル回るのが重要、といっても単にめぐり巡って元に戻るだけではなく、グルグル回すその回転力そのものは外部から注ぎ込まれているからです。農業は大変に手間のかかるものだと思いますが、手間に対して相応の報酬が正確に得られるというわけではなく、そもそも作物が育つということそのものはわたしたちの手の届かないところにあります。人間の努力や関係性の外部に真のエネルギー源があって、そこから来るパワーが人間たちの関係をグルグル回しているのです。
 だからたまたま良い気候の土地に住んでいれば、それほど労せずともおいしいものが食べられます。大企業が成果を上げるのは中小企業より「楽」だと思うのですが、それは資金があるとかないとかいうより、既に大きなお金の流れの中にいるからです。川のそばにいれば水を汲むのは簡単ですが、遠くに住んでいれば持ってくるだけで一苦労です。そして川の流れというのは、徳川政府でもなければ到底付け替えることなどできないものでしょう。「なぜそこに流れがあるのか」は人間の関係や努力の届かない問題です(存在論・・)。
 「明るくやる気」というのは、雨乞いの踊りのようなものです。冷静に考えれば雨乞いと雨の間につながりなどないはずですが、それでもやっぱり人は雨乞いをするのです。それが「流れのそばに住む」ということです。何一つ生み出していなくても、生むことは外部から勝手にやってくるのですから。

 レヴィ=ストロースの解説に、時々こんな風なものがあります。
「南の島々の人が石でできた重い宝物だか貨幣だかを舟に乗せて運んでいる。これは命がけの仕事で、彼らにとっては大変重要な作業だ。では運んだ石はどうなるかというと、同じように命がけで運ばれて、何年か経つと元に戻ってくる。彼らは運ぶことが大切だと思っているが、重要なのはこの営み、構造そのものだ」。
 大分はしょった説明だと思いますが、要するに「明るくやる気」というのがたまたま川のそばにあったので、これからも同じように雨乞いをしなければならないし、踊りの所作一つとっても意味はなくても間違えてはいけないのです。

 ただちょっと厳しいのは、「これって意味ないじゃん」とツッコんでしまうと流れの中でやっていくのがキツいということでしょうかね。「石なんか運んでもどうせ戻ってくるだけでしょ」などと冷静になってしまうととても海など渡れませんから、人間、部分だけを見て熱くなれているうちが幸せです。
 皮肉っぽくなってしまいましたが、逆に言えば「意味ないじゃん」という目を持ちながら全力投球で海を渡れるものこそ本当の勇者だと思います。

 少なくとも、わたしが尊敬するのはそういう人だけです。


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