前の記事< ish >次の記事
2005年10月05日

とりかえしのつかないこと、「どうしてこんなことになってしまったのか」

はてなブックマークに追加  delicious_s.gif  このエントリをlivedoorクリップに追加

 「『告白』 町田康」「『狂気』という言葉、名前をつけること」に続いて、町田康「告白」を巡るエントリ第三弾です。
 最初のエントリで触れた「伝わる・伝わらない」についてです。

結局いつもこんなことになってしまう。俺は別にこんな風になるのを一度も望んだことはないのだが。(・・・)周囲のものにわあわあ言われて気がついたら俺がもっとも危険な役割を背負わされるのだ。何でこういうことになるのかと言うと、それはまあ俺が慌てモノで思慮に欠けるからだが、しかしそれは俺が元々馬鹿だからではなく、対人的にいつも焦っているからだと思う。つまり自分の言葉は相手に通じていないのではないか。相手は本当は別のことを言いたいのではないか、なんて考えていつも焦っているから、ついまともな判断ができなくなって、気がついたら俺が損な役割を負わされている。 (町田康『告白』p302)

 これを単に幼児的心理傾向としてとらえ「わたしもある」と言ってしまうのは簡単ですが、それでは意味がないことは書きました。
 「伝わる・伝わらない」とうい合わせ鏡を仲裁することができずにいると、「いや、違うんだ、わたしが言いたいのはそうではなく・・」という永遠の手遅れ(焦り)を繰り返すことになります。その結果現出するのは、このような「受動的」感覚です。
 「わたしのせいじゃないのに」「わたしは何も悪いことをしていないのに」。
 よくある恨み節かもしれません。しかし重要なのはそのような心理的側面ではなく、ここでは引き受け先としての主体がうまく機能していない、ということです。
 「わたしのせいじゃないのに」。
 その通りです。大抵のことは、「わたしのせい」ではありません。
 生まれてきたこと自体、「わたしのせい」ではありません。コップを落として割ってしまっても、重力のせいとすら言えます。
 「責任者は責任を取るためにいる」などと言いますが、そこでまったく「わたしのせい」ではないことを不条理にも引き受けなければならないものが「わたし」なのです。主体ははじめから従属的に抹消されています。主体は必ずしも「主体的」ではありません。まったく受動的に「やらされた」ことの便宜的「実行主」、著名を付すものとして事後的に設定されるのが主体なのです。
(余談ですが、「主体」というsubjectの訳語は非常にミスリーディングに思います。おそらく明治期に漢語の中から作られた訳語ではないかと思うのですが、subjectは「主題、主語、対象、被験者、臣民」などであり、日本語の「主(あるじ)」の響き、「主体的」などという語のイメージとは大分異なります。それでもなお、subject->verbe->objectという構造があることが非常に重要なのであって、subjectとは決して自律的「主体」などではないのです)

 もちろん、この理不尽な「責任引き受け」を完全に受け止めきることはできません。それでも「わたし」が存在するということは、このような「納得のいかない引き受け先」として受動的に設定されてしまうことなのです。
 このことは、例の仲裁の審級を導入することと同時的です。というのは、わたしを「させた」ものは、「ココロのウチ」を知る唯一の存在だからです。
 熊太郎のこの思考様式は、「引き受け」がうまくいかなかったことを示唆しているだけでなく、逆説的にも真理を指し示しています。「伝わる」唯一のものとは、わたしを責任引き受け先として選んだ「みんな」なる不定形のモノだからです。確かに、「みんな」がそうさせたのです。

 しかし、この真理は人を幸福にはしません。
 正確には、幸福にも不幸にもさせず、人生を始まらせないのです。
 人生とは気がついたら始まっており、そこでの役回りも勝手に押し付けられたもので、思うようにいかず、オチの付け方もままならないものです。書いてしまうと簡単ですが、この現実は非常に苛烈であり、熊太郎でなくても全的に引き受けることなどとてもできません。ときおり自慰的ナルシシズムに耽り緩和しながら、なんとかやっていくのです。
 しかし「引き受け」が十分に行われていなかったり、ナルシシズムが過剰であると、その者は「イヤイヤながら濡れ衣を着る」主体としてすら世界に歩みだせません。人生は始まらず、真の荒野の手前に自動車教習所のような箱庭が築かれます。それは始まりと終わりのある世界、storyです。
 storyには全体性があります。起承転結とでも言うべき秩序があり、秩序は外部から読み込まれます。
 この秩序と全体性の把握こそナルシシズムであり、だから人間がナルシシズムから解脱することなどありません(それができたら神か物質です)。常にstoryを通してしか事態を理解できないものです。
 ですが、storyの援用には常に「これは一面の慰めにすぎない・・」という諦念が伴います。世界は広大無辺であり、その全体性を一つのものとして把握することはできません。量的な問題ではなく、文法的に不可能です。というのも、見ているわたし自身が世界の一部なのですから。世界は常に「わからない」のです。
 しかし、もし自動車教習所を世界の全体だと思い、そこを通じてしか世界を理解できなくなったとしたらどうでしょうか。
 世界は帳尻が合い、良い悪いは別にしても何らかの秩序が等しく働いている(働くべきだ)。そんな期待が過剰に信じられることになります。
 ですが、恐ろしいことに、世界に精算点はないのです。常に「繰り越し」なのです。

 物語の終盤近くで、熊太郎にこんな台詞があります。

「思弁と言語と世界が虚無において直列している世界では、取り返しということがついてしまってはならない。考えてみれば俺はこれまでの人生のいろんな局面でこここそが取り返しのつかない、引き返し不能地点だ、と思っていた。ところがそんなことは全然なく、今から考えるとあれらの地点は楽勝で引き返すことのできる地点だった。ということが今俺をこの状況に追い込んだ。つまりあれらの地点が本当に引き返し不能の地点であれば俺はそこできちんと虚無に直列して滅亡していたのだ。当然ことはこんなことをしないで済んだと言うことで、俺は今正義を行っているがこの正義を真の正義とするためには、俺はここをこそ引き返し不能地点にしなければならない」 (町田康『告白』p608)

 そう、彼が「引き返し不能地点」と期待した世界の終わりはやってきませんでした。
 とっくの昔に終わっているはずなのに、人生は尚続くのです。
 わたしたちの人生は常に「イヤイヤ連載が続いているドラゴンボール」なのです。

 ジャック・ラカンに「原因はうまくいかないときにだけある」という素晴らしいフレーズがあります。
 これは物事には原因というものがある、ということを否定しているのではなく、うまく行っているとき、人は原因について考えないということです。うまく行っているときは、諸効果effectsだけがあります。うまく行かなくなって初めて「どうしてこんなことになってしまったんだろう」と考えるのです。
 これは辛い事態ですから、わたしたちは何なりと原因を考え、人生をstoryで説明しようとします。ナルシシズム的な慰撫行為です。
 しかし、因果律とは常に世界の一部を切り取ってみただけのものであり、真の「原因」などというものはどこにも見つかりません。そこには「なぜわたしは存在するのか」という世界内的秩序では説明のつかない絶対的whyしか待っていません。
 世界に果てはないのです。人生は既に始まってしまっていて、しかも終わりの方も自分の好きにはならないのです。

 それでも熊太郎は諦めません。既に失敗が約束された最後の「ケリの付け方」に打って出ます。「きっとこれでも幕を引けないだろう」という予感をひしひしと感じながら、彼はもう他に出口を見つけられないのです。
 熊太郎の「直列」という表現は美しいです。
 「直列」は言語的なstoryが世界そのものに直結している様を表しています。それは始まりと終わりのある世界です。自動車教習所です。
 自動車教習所には終端の塀があり、教習課程に従って「為すべきこと」が展開し、やがて終わりが来ます。
 しかし世界は自動車教習所ではないし、人生にstoryなどないのです。


 正にチャック・パラニュークの「チョーク!」について書いたことと同じ結論になってしまいますが、人生には何のオチもなく、為すべきことの一つもありません。ただパンを食べ、眠り、また歩いたり働いたりするだけです。
 この荒涼とした世界でいかに死ぬまで暇を潰すか、「チョーク!」の主人公も熊太郎もそれぞれの解答を示しています。これらはいずれも真理です。
 しかし真理は人を幸福にも不幸にもしません。
 なぜならこの真理もまた、わたしたちの人生の外にあるのですから。


告白 町田康 「告白」 町田康

はてなブックマークに追加  delicious_s.gif  このエントリをlivedoorクリップに追加 FC2ブックマーク ニフティクリップ Yahoo!ブックマーク .

カテゴリ:文学・思想 <この記事を気に入って頂けたら、同カテゴリの過去ログを参照してみてください
よろしければクリックしてください>人文blogランキング  ランキングオンライン にほんブログ村ブログランキング


とりかえしのつかないこと、「どうしてこんなことになってしまったのか」

« 「狂気」という言葉、名前をつけること | ish☆手作りスキンケア・サイボーグ | ネイルハードナーのすごいパワー »

コメント

サイン・インを確認しました、 . さん。コメントしてください。 (サイン・アウト)

(いままで、ここでコメントしたとがないときは、コメントを表示する前にこのウェブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)


情報を登録する?