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2005年11月03日

三代目の天才と斜陽説

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 先日友人と飲んでいたときに「根がボンボンのヒトは面白い」という話になりました。
 「根がボンボン」と言っても、ただのお坊ちゃまお嬢様は論外です。「根が」と断っているくらいですから、少なくとも外面的にはまるでボンボン的ではなく、お上品でも取り澄ましてもいないヒトです。お金もそんなに持っていないことが多いです。
 ではただの「ボンボン崩れ」かというと、これも少し違います。ドラ息子が遊び呆けて身を持ち崩しただけではちっとも面白くありません。
 ここで「根がボンボン」と言っているヒトには、色々苦労したりお金に困ったりもしながらも、どことなく本当に本当に食うに困ることはないだろう、という淡い甘えがあります。しかもその「恵まれた環境」をイヤというほど自覚していて、そんな自分がイヤでイヤでたまらず、普通の人が落ち着いてくる年頃になっても必要以上に挑戦的で向こう見ずな行動を選び、反抗的に振舞ってしまいます。
 敢えて自分で苦境に追い込んでいるのに、その不幸を嘆いてみたりすることがありますが、嘆いているのがある種のナルシシズムであることもわかっています。限界に挑んだり突飛なことをやってのけて「ホンモノ」になろうとしますが、そんなチャレンジも本当の苦労人には敵わないことを悩みます。

 苦労や経験は人を豊かにするものですが、この苦労があまりに切羽詰っていると、生活感ばかりが色濃くなって「色気」には欠けてきてしまいます。普通「色気」のために人は苦労するわけではありませんから(笑)、これはこれで仕方がないことです。
 「必要は発明の母」と言いますが、一方で「必要」があまりに差し迫っていると、本当に革新的なアイデアというのは出てきません。必要は必要だけれど、少し考える余地がある、あるいは本当は余地がないのに余地があると勘違いしてしまっている、そんな状況でこそパラダイムシフトを起こすようなとんでもない考えというのは浮かんでくるように思います。
 武道で言えば、よく「武術は本当の命のやり取りの中で進歩してきたのだ」という人がいますが、中国武術が豊かに体系化されたのは明代以降と言われています。日本の剣術が進歩し整備されたのも泰平の江戸時代です。今日明日戦わなければならなかったら、逆に純粋な身体操作を極めるような訓練などやっていられなかったのではないでしょうか。
 

 「根がボンボン」な人は、時にちょっとあり得ないような苦労を背負っていたりしますが、この苦労は真の苦労人の苦労とは違います。ものすごい偉業を成し遂げているようで、冷静に考えるとそもそもそんなことをやり始めたのは当人の勝手な気まぐれだったりします。
 でもこの気まぐれが面白いのです。
 ただお金にまかせてバカをやっているだけでは仕方がありませんが、「どうせオレはボンボンだよ」という屈折した暗い精神がうまい具合に開き直ると、受け継いだ「ボン」を見事に燃やして素晴らしい芸術を作り上げることがあります。そう、「根がボンボン」の人の面白さは、この無駄に「ボン」が燃えるところにあるのです。しかも労して手に入れた「ボン」ではなく、何の苦労もせずたまたま手にした「ボン」の周りを「これはなんだろう」とグルグル回って少しも有効利用できず、挙句の果てに火にくべてしまうのです。

 精神病理学の世界には「斜陽説」という考えがあります。
 成功した家系が三代目に没落することが多い、ということもありますが、この没落は独特の狂気を孕んでいます。狭い意味での精神病者が発現する確率も高い、といった疫学的研究もあるようです。
 三代も続くとそろそろダレてきて落ちぶれてくる、ということかもしれませんが、この「三」という数字はあながち無根拠ではないように思います。
 二代目も確かに労せずして「ボン」を受け継ぎはするのですが、その「ボン」を手に入れるのに死に物狂いで頑張ってきた親の背中を見ています。だから確かに自分自身は苦労していませんが、受け継いだ「ボン」の大切さはどこかでわかっていて、自分のボンボンぶりを悩むことがあったとしても、おおむね「ボン」を粗末にせず生きるのです。
 ところが、三代目は違います。
 三代目の成長過程には、「ボン」はあっても「ボン」を手にするための苦労がリアルでむき出しになっている場面はありません。良きボンボン家庭では、何かにつけ「ボン」の大切さを伝え教え込もうとするものですが、言われれば言われるほど三代目には鬱陶しく感じられます。何せ苦労を訴える親自身が別に苦労していないのです。
 三代目は「ボン」獲得過程のリアリティを知らないだけでなく、「ボン」は先祖代々受け継がれてきたもので、放っておいても未来永劫続くと思っています。もちろん、一定の年齢に達すれば「ボン」の大切さを頭では理解するようになります。おじいちゃんおばあちゃんの苦労も認識します。しかし、そもそもの刷り込みの段階で根っこから切り離された「ボン」しか知らないわけですから、いくら考え学んでも、常に根無し草のような便りなさが付いて回ります。
 しかも彼・彼女にとって、「ボン」はむしろ鬱陶しいマイナス要因と感じられているものです。当人にとって「ボン」はあまりにも当たり前で、「ボン」を意識するときは常に「お前はボンボンだから」と言われるときなのですから。
それが「恵まれた」ことであることはもちろんわかるのですが、子供時代に受けた「ボンの大切さ教育」のお陰で「ボン」価値観が歪んでいます。しかも「恵まれている」「特別に為すべきことがある」と言われたり「お前は苦労していないからダメだ」と言われたり、一体どっちやねん!なアンビバレントでダブル・バインドな成長過程を辿っているのです。まっすぐに育てという方が無理があります。

 ここで美しく「ボン」を燃やせるかどうかは、やはり当人の才覚と根性にかかっているところがあるので、三代目だからといって面白くなるとは限らず、没落するとも決まっていません。当然ながら、一般的には没落しない方が良いに決まっています。
 でもそこで変に適応してしまわず、かといってただ身を持ち崩すだけではなく、彼・彼女オリジナルのとんでもない「ボン」の使い方を考える人、そんな人は最高に美しいです。
 わたしの友人には何人かそういう「根がボンな人」がいますが、おしなべて言えるのは「色気がある」ということです。色気というのは、とりあえず生き抜くこと自体はなんとかなっていて、かといって死ぬには早すぎて、そんなあいまいな季節に一番花開くように思います。

 実を言えば、かく言うわたしも絵に書いて額に入れたような「三代目」なのですけれどね・・・。
 せいぜいただの甘えたで終わらないよう、全力でくだらない生き方をしておきます。


斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇  文春文庫 太宰 治『斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇』 太宰治 文春文庫

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