場所とりくん
「可能性としての防振ゴム」に続いて、東急ハンズで見つけた実存シリーズ。
「場所とりくん」です。
パーティーグッズコーナーで販売されていた衣装の一つです。
・・・・・。
とりあえず、衣装がどうとか言う以前に、着てるヤツが問題ですよね。
というか、どう見ても衣装というよりはむしろ彼が「場所とりくん」に見えちゃうでしょ、この展示では。
で、「場所を取ること」が一次的機能なのに、場所を取る目的であるサクラに既になり切っている、というこの不条理。
圧縮効果というか、ネタの質はわかるんですけど、冷静に考えると結構怖いですよ、コレ。
「場所とり」という仕事がそもそも意味がわからない、何かをするわけでもなく「いる」こと自体に意義があるのですが、さらに場所を取る目的というが、サクラを見ることなわけでしょ。
サクラもまた機能を持つものじゃなくて、ずっとそこに生えてて、ただ花が咲いて散るわけですよね。
そのタイミングにそこにいるための「場所とり」。
その「場所取りくん」が既にサクラ。
怖いです。
でも美しいです。
ベタなことを言えば、この手の衣装というのは、ペルソナの誇張による戯画化、みたいなことをやっているわけですよね。
衣装とか制服というのは、役割を物象化していて(警察官は誰が警察官であるかよりその制服を着た人間が存在することが重要...)、そのパロディ、みたいな大学一年生的解釈ができるわけですけれど、「場所取り」というのはそもそも役割そのもの、役割以前にただそこにいることがすべてなわけです。
警官は制服を着てそこに立っていることが大切ですけれど、「場所取り」になるともう制服すらない。
機能を表象する記号すら託されない。
仕方ないからサクラそのものになっちゃうわけです。
「賑やかし」の意味のサクラとかぶっているのも偶然ではないです。
というわけで、「場所とりくん」をかぶっているカレはとてもとても透明で美しいです。
警察官なら、警官個人は警察官という記号に守られますが、場所取りでは守ってくれる記号すらないですから、もう存在そのものがむき出しです。
カレの「人間性」も見られず、代弁者としての機能もなく、もう存在だけ。実存ボケっぱなし。誰も拾ってくれません。
あと、コレが気になるんですけど。

・・・ネコミミ?
こんな、アートとしか思えない、吉本に入門したドイツ人みたいなカレが、さらにネコミミ?
・・・拾い切れません。
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場所とりくん
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