前の記事< ish >次の記事
2006年04月17日

コードレスと地続き

はてなブックマークに追加  delicious_s.gif  このエントリをlivedoorクリップに追加

 具体的なことは敢えて書きませんが、待ちに待った「宿命の旅」(大げさ)に立った日、見送ってくれた友人と話していて、この二つの言葉が浮かびました。
 「コードレス」「地続き」。
 何のこっちゃでしょうが、ちょっと気になるのでメモしておきます。

 「地続き」というのは、「この空は故郷のあの空ともつながってるのね!」という時などの「続いている感」です。
 何か二つのものが一見デジタルに断絶して見えながら、何らかの連続性を保っている様子を「地続き」と言ってみました。
 ただこの時念頭に置いていたのは、「この空は・・」の時のような空間的連続性というよりはむしろ、時間軸に沿った「人格」の一貫性のようなものでした。
 人生には節目となるような出来事があります。その前後で生活が一変することもありますし、節目の前の時点では、その後の生活風景をまるで想像できない場合もあるでしょう。
 それでも何かが続いています。驚いたことに、記憶を保ったまま維持されている何かがあるのです。
 本当は「人格」という言葉は使いたくありません。ここで連続しているものに、何らかの「核」があるような印象を与えてしまうからです。
 「地続き」で重要なのは、二つの土地を一つの核が通底している、ということではなく、核も何も最初から一つののっぺりとしたものしかない、ということです。「人格」という概念は一般的にも極めてミスリーディングですし、「記憶」などで代替することもできません。強いて言えば、続いているのは「名」です。
 しかしこの「名」は隠されていて、本当は一つの「名」しかないのにその全体を見渡すことができないのです。そのため二つの地点があるように見えるのですが、「名」は一つ、それも個人を指すのではなく「わたしたち」全体を指す発音できない名前が一つあるだけです。

 と、あまりわかり易い説明にならなかったのですが、続いて「コードレス」。
 わたしは「コードレス」になるため、「地続き」であることが信じられないような跳躍のための旅に出ました(重ね重ね大げさ)。
 「コードレス」は、平たく言ってしまえば「自由」ということです。
 コード付きで束縛された状態から、自由に移動できる形になる、ということです。
 しかしよく考えてみると、コードレスとは言ってもどこまでも電波が飛ぶわけではなく、二階に移動したら音が悪くなったり、家から出たら電話が切れたりします。やはりどこかでつながってはいるのです。
 ここで重要なのは、どこまで行ったら電波が切れるのか、「つながり」が断たれてしまうのか、明示的ではない、ということです。
 コードがあるときは不自由ですが、どこまで行けるのか、どこからがダメなのか、その境目がハッキリしていました。コード付きの本質とは、コードによって行動範囲が制限されていることよりはむしろ、制限された範囲が明示的な点にあるように感じます。
 そしてコード付きからコードレスになっても、不自由自体は変わりありません。範囲は拡大しますが、依然として制限は残っており、しかも今度は制限の境目が判然としなくなります。
 世の中の自由とは、正に「コードレス」でしょう。本当にハードなのは、制限されることでも、闇雲に制限を解放されることでもなく、制限の境目がわからないことです。

 どこまで行ってもうんざりするくらい「連続的」で、断ちたくてもつながりは断てないし、一方で放っておいてもそれなりに抱きかかえられている。
 「地続き」と「コードレス」は、そんな気持ちを表したかったのですが、うまく表現できてはいませんね(笑)。
 すいません、極私的メモだと思って聞き流して下さい・・。

はてなブックマークに追加  delicious_s.gif  このエントリをlivedoorクリップに追加 FC2ブックマーク ニフティクリップ Yahoo!ブックマーク .

カテゴリ:メモニッキ☆ <この記事を気に入って頂けたら、同カテゴリの過去ログを参照してみてください
よろしければクリックしてください>人文blogランキング  ランキングオンライン にほんブログ村ブログランキング


コードレスと地続き

« 大きすぎる愛 | ish☆手作りスキンケア・サイボーグ | テムーハソ ウナラメソ »

コメント

サイン・インを確認しました、 . さん。コメントしてください。 (サイン・アウト)

(いままで、ここでコメントしたとがないときは、コメントを表示する前にこのウェブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)


情報を登録する?