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2006年05月07日

迷惑かけてありがとう

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 「迷惑かけてありがとう」。たこ八郎さんの大変美しい名台詞です。
 一般にこの言葉は、「皆に迷惑かけて生きてしまったけれど、『迷惑かけてごめん』と謝るよりは、感謝を捧げたい」といった意味として取られていると思います。実際、ご本人はそれくらいの意図だったのではないかと思いますし、この意で援用することに何ら問題はないでしょう。
 しかしこのフレーズには、より長大な射程を読み込むこともできるのではないかとわたしは考えています。

 まず、「迷惑をかけるな」と言いますが、何をもって迷惑とするかは人によって異なります。そしてこれを決定するのは迷惑を被る側であって、かける側ではありません。従って、上の規範を守って行動するには、その行動の結果が与える効果について、常に完全なフィードバックを得ている必要がありますが、これは不可能です。物理的に困難というだけでなく、行動前に行動の結果を読み込もうとすれば無限背進に陥るため、論理的にあり得ません。
 「迷惑にならないよう配慮した」などというと一見善良そうですが、行動する側がその行動が「迷惑」かどうかを決定することは不可能であり、もしこれを統御できるというなら、他人の判断領野を踏みにじっていることに他ならなくなります。
 それが「迷惑」であるかどうかは、行動する側には決定不可能であり、「迷惑」になり得る可能性からは自由になれません。わたしたちがとにもかくにも生まれてきてしまったということは、既に場に参戦しているということであり、これがどう評価されるかに関わらず、ニュートラルなどということは初めからあり得ません。生きることは、既に可能性としての「迷惑」なのであって、そこに少しでもマシな可能性を考えること自体、相対主義的な傲慢さに他ならないのです(相対主義の「何も言わなさ」については「『狂気』という言葉、名前をつけること」「『イラク』スラヴォイ・ジジェク」でも触れました)。

 翻せば「何をやっても自由だが、人に迷惑をかけるな」などというお説教は、実質的には何を言っていることにもなりません。
 「許可なく立ち入りを禁ずる」といった看板を時々見かけますが、この「許可」が下りたという話など聞いたことがありません。ここでの「許可」は、禁止する側がアリバイ的な免罪符として仄めかしているだけのものです。
 これと同じく、「迷惑さえかけなければ自由」などという自由は存在しないのです。このような詭弁に騙されてはいけません。

 わたしたちが自由意志により何かを為すということは、避けがたくかけてしまう「迷惑」について、自らの著名を付すことです。迷惑は変わらず放出されていて、ただその否応もない生、まったく謂れのない罪について、自らの名を敢えて刻むということです。「迷惑さえかけなければ自由」どころか、自由とは正に自らかけた迷惑を背負うこと、迷惑をかけながら生きることそのものなのです。
 基準とすべきは、迷惑をかけているか否かではありません。否応もなく(しかも望んでもいないのに!)かけている迷惑について、それでも構わずなお進むのか、その選択でしょう。
 もっと言ってしまえば、この選択は選択ですらありません。というのも、わたしたちは常に、気付いたときにはもう選んでしまっているのです。「選んだことを選ぶ」余地すらなく、駆け出した重心を支えるために足を踏み出すように、否応もなく走るしかないのです。

 たこ八郎さんは、ここで「ごめんなさい」とは言いません。この迷惑は、謝って許される罪ではないのです。
 選んでかけたどころか何一つ選ぶ余地もなく、むしろ最大の被害者は自分自身であるにも関わらず、引き継いだ借財は絶対に返済不可能なのです。
 謝罪に代わってたこ八郎さんが選ぶのは、感謝の言葉です。
 感謝というのは、不思議な言表です。口にしたからといって、その場を支配している経済に対してプラスにもマイナスにもなりません。感謝とは、与えられたものに対して何かを返すことではありません。感謝は交換ではなく、むしろ何も返さないことであり、弁済能力の無さをさらけ出すことです。
 まさにここにおいて、謂れもなく「加害者」にされてしまうことの否応の無さを、彼は全面的に引き受けるのです。
 「迷惑かけてありがとう」とは、引き継いだ借財の利子だけを支払い無力に去っていくことにより、語らいという世界の全体性を丸ごと肯定する言葉のように響きます。そもそも、わたしたちは気付いたときには走っていて、ただ走り続けるより他に何もできないのですから、あとはただ自らの疾走をそれ自体として認めるより他になく、ただそこにのみ語の真の意味での自由があるのです。

 深読みしすぎかもしれません。
 いつか、こんな台詞を口にする勇気を持てたらステキだなぁ、とだけ思っておきます。

『昭和のチャンプ たこ八郎物語』『昭和のチャンプ たこ八郎物語』


追記:書いてから気付きましたが、この「たこ八郎の自由」はスピノザ的ですよね・・。

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迷惑かけてありがとう

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コメント

「迷惑かけてありがとう」
とっても素敵な言葉ですね。そしてishさんの解釈が素敵です。
私はついつい自分の意図しないところで他人に迷惑をかけてしまいがちです。
そして言われるのです。その人が受けた迷惑と私の行動との因果関係を示されて、私のかけた迷惑は不可避なものではないと。
そんなの知らないって言いたくなることもありますが、やはりそこはとりあえず謝ってしまいます。
不可避な行動であったとしても、謝ることしか出来ない自分に苛立ちます。

「迷惑かけてありがとう」なんて素敵な言葉でしょう。迷惑をかけた相手は私の行動の結果を受け止めてくれたのです。(そういう場合にしかつかえないですね。)

投稿者 よう [TypeKey Profile Page] : 2006年05月14日 00:51

せっかくコメント頂戴していたのに、ずっと放置していてすいません。
あんまりディープな話題についてコミュニケーションがとれる精神状態ではなく、レスできないでズルズルときてしまいました。
こういう台詞に殊更に惹かれるのは、自分が言えないことの裏返しであって、もう日々ダメダメです。とりあえず謝るし、それ以前にツッコまれないよう虚勢を張ってばかりの毎日です。
いつかもうちょっとマシな人間になれるといいなぁ、と無責任に夢見ています。

投稿者 ishyou [TypeKey Profile Page] : 2006年06月14日 20:12

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