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2006年05月11日

『ブロークン・フラワーズ』ジム・ジャームッシュ

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 ジム・ジャームッシュ監督の新作『ブロークン・フラワーズ』を見てきました。

ブロークン・フラワーズ

かつては多くの女性と恋愛を楽しんだ元プレイボーイのドン・ジョンストンは、中年となった現在も勝手気ままな独身生活を送る日々。そんなドンに恋人のシェリーも愛想を尽かして出ていった。そこへ、差出人不明のピンクの手紙が届く。便せんには“あなたと別れて20年、あなたの息子はもうすぐ19歳になります”と書かれていた。それを聞いた親友のウィンストンは、お節介にもドンが当時付き合っていた女性たちを訪ねて回る旅を段取りしてしまう。そして、気乗りのしないドンを強引に息子探しの旅へと送り出すのだった。

 と、とりあえずの筋立てはこんなところ。謎解きぎみに物語は進みますが、ジャームッシュですから当然わかりやすい問題解決に向かっていくわけではありません。
 ですから、ネタバレも何もバレるネタがあるタイプの映画ではありません。過ぎ去ってしまったものとの関わり自体を扱った作品です。

 ドンという男、彼の振る舞いの基調低音は「否認」です。
 あらゆる局面でnonと言いながら、結局は答えと反対の行動を取っていきます。おせっかいな友人に「別れた女に会いに行け」と言われて素直にyesと言う人もあまりいないでしょうが(笑)、そういった物語内的整合性や、純粋なユーモアをおいてなお、彼は「否認」をベースとして行動しています。
 これはまさにドン・ファンの様式そのものでもあります。
 女性を手玉に取る男性、それは容姿が優れて気が利いて、仕事のできる男でしょうか。そういった要素もあるでしょうが、次から次に女性に手を出してそれでも成り立ってしまうような男、それは「否認」の上手な男です。
 彼は女性を喜ばす術を知っていますが、肝心なところで言質を取られません。「いや、俺は何も言っていないよ」という逃げ方が巧みなわけですが、これは卑劣という意味ではありません。恋愛は「押さば引け、引かば押せ」ですから、押して押してきてスッと引く男に女は弱いものです(笑)。

 この物語にはもう一つの「否認」があります。
 老いた自分自身に対する「否認」です。
 事業で大成功し、衰えたとはいえ未だ女性に困ることはないらしいドンですが、それでも往年の精力を備えているわけではないですし、何より彼は「女たらし」という、達観とは正反対の生き方を貫いてきた人物なのです。人のうらやむような暮らしをしていても、淡い焦りから自由になることはありませんし、重要なことに、常にこの焦り自体をまた「否認」するように行動しています。
 それゆえ、彼は過去につかまってしまった男です。
 「昔の女に会いに行け」と言われ「バカなことを言うな」と断るドンですが、結局は言われるままに旅に出ます。誰よりも今はもうない過去にこだわっているのは、ドン自身です。
 元彼女たちは、当然ながらそれぞれの人生を歩み、彼女たちの「今」を持っています。そこに彼の求めるものはありません。ピンクの花束を携えドアをノックしても、彼の求める女はそこにはいません。なぜなら、彼が会いたいのは過去の自分であって、今はもうそれ自体としては手の届かないものだからです。

 では、過去を切り捨て「今を生きる」のが潔いのでしょうか。
 物語の終盤、彼自身がこの「哲学」を語ります。「過去は過ぎ去り、未来はまだない。あるのは今だけだ」と。安っぽいありふれた「人生哲学」です。
 間違ったことを言っているわけではないですが、それをわざわざ口にするとき、人は決して「今を生きる」達観などに達しているわけではありません。むしろ人一倍「今は無いもの」にとらわれている人物こそ、こんな「今を生きる」哲学を語ってしまうのです。
 ですが、それはドンが「哀れな年老いた女たらし」だからではありません。
 確かに「あるのは今だけ」ですが、同時に人は過去を背負って生きるものです。
 過去は過ぎ去ってもうありませんが、それが「あった」ということをわたしたちは「知って」います。これを「記憶」と言ってしまうのはわかりやすいけれど不正確な表現なため避けたいです。「今、過去形で語る」、つまり過去の語らいがあるのです。
 わたしたちはディスクールの海をさまよう生き物であって、生理的刺激すら言語を透かして感じているにすぎません。過去は過ぎ去りましたが、わたしたちが生きる「今」という空間は、「今ココにないもの」を巡る語らいそのものなのです

 だからやはり彼は、昔の女を訪ねて良いのです。
 永遠に手が届かないと知りながら、失敗を約束された旅に出ても構わないのです。
 人生とは、このような「出会い損ない」の連続なのですから。

 彼を訪ねてやってくるかもしれない十九歳の息子。それは正に過去の彼自身です。
 「今しかない」という「人生哲学」が語られる相手も、その息子かもしれない人物です。
 語り自体によって、言外に彼は「いや、過ぎさったものが『過ぎ去った』という形で今ここにある」と伝えてしまっています。あってほしいのは過去の自分、つまり目の前にいる男です。彼はそんな美しい自分で「ありたかった」のです。
 しかし少年は「否認」し、去ります。
 走って追うドン。
 この映画で唯一の「疾走」場面です。
 淡々とした物語の中で、誰もが最もリアリティを感じるシーンでしょう。
 そう、彼は走ります。「今を生きる」です。しかしどこに向かって? 過去、過ぎ去ってしまったもの、彼が自らの「哲学」の中で「無い」と否定した正にそのものに向かって。

 過去は確かに過ぎ去り、今はありません。
 しかし無いものに駆動され、無いものに向かって走り、走っても走っても追いつけない「今」、それが人生なのです。

 ちなみに、ジャームッシュ監督作品では以前にジョニー・デップねたで触れた『デッドマン』が極私的おススメです。

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