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2006年05月30日

『英語の壁』マーク・ピーターセン

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 明治大学教授マーク・ピーターセンさんが毎日新聞などに執筆していたコラムをまとめたもの。お気楽に読めてかつ含蓄のある良質な随筆集。

『英語の壁』マーク・ピーターセン『英語の壁』マーク・ピーターセン

 とにかく氏の深い日本語理解には舌を巻くばかりで、また目の付け所もよくある「日本人のヘンな英語」ネタとは明白に一線を画しています。
 ここでは特に興味を惹いたポイントをいくつかメモしておきます。

「日本人はなぜ英語が下手なのか」というシンポジウムに出演したが、なぜ日本人はこういう論の立て方を好むのか。英語の上手な日本人はたくさんいる。そういう人は必ずたゆまぬ反復練習の末に高い語学能力を身に付けたのであり、努力なしに万人が等しく語学を身につけられるわけがない。「日本人はなぜ英語が下手なのか」という問いの裏には、「英語ができないのは日本人だからであって、自分のせいではない」という心理が働いているのではないか。(要約)

 素晴らしく的確な指摘です。穴があったら入りたいです
 この「個人の問題を集団の属性にすりかえる」というロジックには本当に注意しないといけません。英語力の問題に限らず、「だから女は」「だから中国人は」なども一緒です。
 もしかすると日本人は本当に脳の使い方が欧米人と異なり、英語が馴染みにくい傾向があるのかもしれませんが、個人差や努力の影響の方が遥かに大きい以上、問題にならないでしょう。青森出身の人の「我慢強さ」平均値が大阪出身者のそれより少しばかり高かったとしても、キレる青森県民がいないわけではありません。
 それでもつい「日本人は・・」と言ってしまうのは、一つには責任回避、また一つには帰属意識のようなものによる満足感もあるでしょうが、要するに話が単純になるからです。十把ひとからげにして判断してしまえば、微小な差異について考えないで済みます。
 「一般化」「抽象」とはそういうことなので、必ずしも「ざっくり=悪」とは言い切れませんが、abstractしてしまうことにより何が得られ何が失われているのか、その点については意識的であるべきだと思います。
 ちなみに「やる気のない人まで含めてすべての日本人の語学レベルを上げようとすれば、教育の水準が下がるのは当然」「日本人のTOEFLスコアの低さが指摘されるが、他のアジア諸国ではエリートだけが受験しているのに対し、軽い気持ちで受ける人の多い日本人の平均値が低いのは当たり前」といった指摘もあり、いちいち頷けました。


サッカー選手の写真に「We are Japanese」とだけ書かれた広告があったが、とても不気味だった。もし日本人がアメリカで「わたしたちはアメリカ人です」と日本語で書かれた広告コピーを見かけたら、恐ろしくならないだろうか。また「Let's America」というコピーも意味不明で不愉快だ。しかしもしこれが「レッツ・アメリカ」とカタカナで書かれていたら、さほど違和感は感じなかっただろう。(要約)

 よくある「ヘンな英語広告」ネタと違い興味を惹かれたのは、「カタカナで書かれていたらそれほど不快ではない」という下りです。あまり考えたことがなかったのでハッとさせられました。
 カタカナで書かれていれば、それは日本語の一種であり、「そういうものか」とそれなりに合点がいくそうです。
 逆に日本語が英語圏でヘンな使われ方をしているケースを考え見ると、確かにその通りです。
 先日某国で「犯人」という刺青を入れた黒人男性を見かけたのですが、これが漢字でなくローマ字であれば、もう少し違和感が薄れた気がします。いや、これはちょっと良いたとえではないですね。すいません。
 "honcho"という「班長」から来た英単語があります。これには「リーダー」の意の名詞用法のほか、「組織する」という動詞用法があるそうです。といっても動詞として使われているところを見たことがなかったので、調べてみると次のような例文が見つかりました。

William M. Daley, who quit recently to honcho Vice President Al Gore's presidential campaign...
ウイリアム・M・デイリー氏は、副大統領アル・ゴアの大統領選の責任者を務めるため最近辞任したが……

 これを読んでも「ふーん」と思う程度で、別に「そんなの班長じゃない!」という憤りは沸いてきません(笑)。
 しかしもし「わたしが会社の班長だ」「彼がこのグループを班長している」とあったら、すごく気持ち悪い、というか意味不明です。
 あぁ、また良い例ではありませんね。わたしの文章の方がずっと意味不明です。すいません。


 最後にもう一つ、この本でわたしが一番好きな下りをご紹介します。本書p168です。
 アメリカ人の外国語や外国文化への無関心についてのコラムで、中西部の地元に帰った時の体験がつづられています。
 といっても露骨な無関心さが語られているわけではなく、親戚や地元の人々が筆者の暮らし働く国にまったく興味を持たないことになどにはすっかり慣れきっていて、既に諦めの境地に達しています。
 しかし帰郷時に中勘助の『銀の匙』を読んでいたところ、そこにあった牛が草を食む描写が地元の風景にとても通底していて、部屋に入ってきた叔母についその本のことを熱く語ってしまうのです。
 叔母は内容以前にそのヘンな文字を筆者が解読できているのかどうか、そっちをいぶかしげに見ていますが、そのうち頷いて「そう、わかるわ、牛が好きなのね」と乗ってきてくれます。「届いた」かに見える一瞬です。
 でも叔母は続けます。「そういえば○○さんの牛が品評会で一等賞を取ってね、そのときの彼ったら・・」。外界に対する無関心が骨の髄まで染み込んだ片田舎のアメリカ人の世間話へと、彼女の語らいは流れていってしまいます。
 コラムはそこで終わっています。叔母のリアクションについて、是とも非とも言っていません。この終わり方が、素晴らしく美しいのです。
 一ページ分くらいそのまま引用しようかとも思ったのですが、さすがに長すぎるので、是非手にとって味わってみてください。完全に文学として成り立っています。

 せっかくの美文に無粋なことは言いたくないのですが、この宙吊り感はピーターセンさん自身の「中途さ」でもあります。
 日本に長く住み、日本人以上に日本文化を知悉し愛する彼ですが、だからといって日本人になってしまったわけではありません。
 では故郷に戻ればしっくりくるのかというと、それも違います。彼自身、その地に戻ったとしても「幸せな老後は過ごせないだろう」と書いています。あまりにも遠く彼は故郷を離れてしまいましたし、人々の「世界の狭さ」が日本の田舎以上らしいその土地で普通の人として暮らすには、多くを知りすぎてしまいました。
 特殊な事情があり、わたしは日本に暮らす日本人でありながら外国人のような感覚を覚えることが多い人です。そのせいで、この宙ぶらりんな感じ、独特の寂寥感、それでも強く生きていくしかない現実、そういったもの全体の持つ空気に、特に打たれてしまったのかもしれませんん。

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