前の記事< ish >次の記事
2006年07月08日

『「ニート」って言うな!』本田由紀 内藤朝雄 後藤和智

はてなブックマークに追加  delicious_s.gif  このエントリをlivedoorクリップに追加

「ニート」って言うな!『「ニート」って言うな!』本田由紀 内藤朝雄 後藤和智

 話題になっていた本なので遅ればせかもですが、『「ニート」って言うな!』を読みました。
 「ニート」などという言葉が胡散臭い週刊誌ネタにすぎないのは自明であって、それにわざわざ「言うな!」とツッコんでる人たちもどうなんよ、というひねくれ根性が働いていたのですが、読んでみると予想より扇情的なものではなく、落ち着いて楽しめました。
 例によって手短にメモしておきます。

 まず「ニート」という語は明確な実体のない、多分に象徴的で曖昧な言葉です。「ニート」はイギリスでのNEET(Not in Education,Employment or Training)のカタカナ表記ですが、本来この語は16歳から18歳の失業者を含む「若年無業者」を意味していました(という正確な定義はこの本で初めて知りました)。それが「ニート」と表記され社会問題のテーマとして取り上げられるうちに、「仕事もしないでブラブラしているヤツら」となり、さらに「よくわからない今時の若者」「キレる青少年」といったネガティヴなステレオタイプを表象するようになりました。
 要するに「パラサイトシングル」「フリーター」「ひきこもり」等のもわんもわーんとした「今時の若者集合」を指す流行キーワードの末子にすぎず、大衆の不満の捌け口、思考停止のための用具として捏造されているのは明々白々としています。この辺りは本書第二部で内藤朝雄氏が論じている通りでしょう。
 ここから二つの問題系の論が分かれます。
 スケープゴートとしての「ニート」イメージを作り出している構造と、実体として「ニート」に該当すると思われる人々の実情および(もしそれが問題だとしたら)解消法という視点です。前者を論じているのが内藤朝雄氏、後者を担っているのが本田由紀氏および後藤和智氏、という構成になっています。
 本田由紀氏による本書第一部の解説は非常に明快です。極めて多様な実体を持つ「ニート」をそれとして切り分けることの愚昧、日本における「ニート」カテゴリが真の問題を覆い隠す形でミスリーディングに機能してしまっていることを指摘した上で、「非求職型」(働く意欲はあるが、さしあたって何らかの事情で求職していない)人々を「フリーター」や「失業者」に親和的なものとし、これらを「不安定層」としてまとめます。一方で働く必要・予定がない「非希望型」およびよりコアに当たる働く意欲のない「犯罪親和層」「ひきこもり」を「不活発層」とします。
 その上で「不安定層」について、「学校経由の就職」に偏った就労システムおよび職業訓練の欠如により、典型雇用と非典型雇用の間に厳しい断層があることが問題として取り上げられます。
 本田氏が提唱しているのは、第一に「壁」の両側の流通性を高めること(中途採用や中間的雇用形態の創出等)、第二に現状では差の著しい両者の社会的待遇をゆるめていくこと(フリーターの社会保険加入等)、第三に非典型雇用からでも活路を見出せるような職業教育の充実です。これは、「壁」出現の一因がバブル期の団塊ジュニア世代大量採用とバブル崩壊といった歴史要因に帰せられるにせよ、産業構造の変化自体は偶発的なものではなく、それゆえ典型雇用・非典型雇用という区別自体はなくならないだろう、という認識によるものです。
 これらの提案は非常に納得のいく合理的なもので、「非典型雇用」の一派遣社員としては多いに賛同したいところです。
 一方で、本書冒頭から「著者陣の中でも意見が分かれる」とされているのが教育の問題です。
 本田氏は上記のように「職業訓練の拡充」と訴えていますが、内藤氏は教育に対しかなり懐疑的です。それは「今時の若者」が「自分の中にあって思い通りにならないもの」を投影する対象とされているがゆえに、「徴兵制の代わりの職業訓練」のような思想が力を伸ばしてしまうのではないか、と警戒しているためです。
 このような相違が表れるのは、本田氏が「不安定層」に主に着眼しているのに対し、内藤氏の関心が「不活発層」およびそれに勝手に投影されたイメージにあるためではないかと思われます。逆に言えば、この点にも正に「ニート」という語の曖昧さが反映されてしまっているわけです。
 個人的には、「不安定層」と対象とする限りにおいて、教育システムの改変は重要だと思っています。一方で、「不活発層」をそれこそ「徴兵」のような教育で「矯正」できるのかというと、それはとんでもない間違いでしょう。
 本書全般を通じて、「ニート」が「ニート」になった原因として「本人の心」「親」の二点ばかりが取り上げられ、就労システムなどの社会的側面が見落とされていることが論じられています。実際のところ、「ニート」の実体が極めて多様であるように、「ニート」の原因も様々でしょうが、社会制度についてはそれなりの手続きに則って改良していくことが可能なものです。就労制度の漸次的改良も決して簡単ではないでしょうが、「本人」や「親」といった極めて複雑なものへの対処に比べれば、はるかに平易で現実的です。ですから、まずはこの現実的方策を優先するのが妥当でしょう。ただしそれはあくまで「不安定層」を念頭においたもので、「不活発層」を対象とするような「ココロ」に踏み込む形で行われるべきではありません。
 「不活発層」については、確かに本人や親の問題も小さくないかもしれません。もちろん「たるんでるからダメなんだ」で終わりになるような類のものではありません。それこそ個々人に応じたきめ細かな対処が必要になる領域であって、制度的改革で一網打尽に解消できるような問題ではないのです。だからこれについてはひとまずおいて、就労制度などの「ドライ」な対処で対応できるところを、まずなんとかしていくことが重要だと考えます。
 そして「不活発層」については、可能な限りの制度的対処を取ると同時に、ある程度「そういう人もいるよ」で割り切るべきだと思います。「ひきこもり」的な人は現代になって突然生まれたわけではなく、社会の中である一定の割合の人は働く気がなく、また一定の割合の人はコミュニケーションに障害を感じるものです。もし当人が「なんとかしたい」と願っていて、かつ「なんとかなる」なら多いに結構ですが、なんとかならなくても社会が崩壊するほどのことではありません。むしろ「ひきこもり」でもとりあえず死なないでいられる人が存在できるこの社会の豊かさを(頑張って)喜びたいと思います。
 このような人々を攻撃したくなる気持ちというのは、一つには単純な不満の捌け口、もう一つには「普通の働く人たち」の中にも「ひきこもり」なココロがあるため、「ひきこもり」に対して愛憎入り混じった複合的観念を抱いてしまうためです(正に内藤氏の論)。
 正直言って、わたしにもそういう攻撃的な心があります。
 わたし自身、大学を卒業しても就職せず、アルバイトを転々としながら作品を作っていた時期が長かったです。これは「不安定層」に属するのかもしれませんが、一方で「正社員なんかになって働きたくない」という「不活発」的な気持ちがあったことも事実です。それが社会のメインストリームに近づくにつれ、不合理と思いながらもスケープゴートを探す心理構造が理解できるようになってしまいました。現状でも「非典型雇用」という意味では大きなくくりの「ニート」に該当するはずなのですが、それだけに一層「不活発」な人々に憎悪を向けてしまうのでしょう。「自分に近くてでも違う人」を一番の攻撃対象にするのは人の常です。派遣社員がアルバイトを見下し、フリーターがひきこもりをバカにし、日本人と韓国人がケンカするのが社会というものです。
 このような精神に対抗するには、一つには勇気をもって交わってみることですが、それができないなら放置する方の勇気を身につけることでしょう。わからないものとか不愉快なものがあるなら、放っておけば良いじゃないですか。放っておきたくない、視界に入るだけでイヤ、という心理もわかりますが、それを放置してやることで、多分わたしたち自身も「放置」してもらえるのです。
 そもそも「視界に入るのもイヤ」な気持ちを抱いてしまった時点で、ちょっと立ち止まってそれほどの憎悪を生み出している自分自身の心を見直してみるべきです。「べきです」などと偉そうに書くのは正に自分ができないからですが、冷静に考えると給料が安かったり課長の息が臭かったり単に寝不足だったりとかいった原因がいっぱい見つかります(笑)。ちなみに、今これを書いているのはぐっすり眠った後の土曜日の夕方ですが、月曜の夜だったらこんなことはとても書けなかったでしょう(笑)。

 以上、比較的本書に賛同する内容をずらずらと書いてきましたが、最後に暗黒なことをメモしておきます。
 「不安定層」と「不活発層」の区別こそ重要であること、前者に対する「ドライ」な社会システム的対処を優先すべきであること、がわたしの「意見」の中心ではありますが、同時にこれらをないまぜにし、本人・親・社会の三原因のうち本来最も単純に対応できるはずの「社会」がスッポリ抜け落ちてしまっている大衆的了解にも、一理あるように感じるのです。「一理ある」というのは「一個しかない」ということですから賛同しているわけではありません。この「ないまぜ感」には了解可能な何かがある、という意味です。
 これは全然「提言」ではなく、前向きな姿勢でも何でもないので無視してもらってかまいませんが、わたし自身の軌跡を振り返ると、自分の中でも「不安定」と「不活発」がかなり入り混じっていました。そして世間がよく指摘するような「ニート」的家庭像にもかなり当てはまる成長の仕方をしました。
 わたしの場合、これらに加えてここでは書きたくないある決定的な因子があり、それら全部が渾然一体となってこのわけのわからない人生をリードしていったのだと思います。いや、もう少し言ってしまえば、最後の「負の因子」をバネにすることで、それ以外の諸要素を「毒をもって毒を制する」ように克服しようとしてきた(している)ような気がします。というのも、最後の「因子」については、ものすごい努力さえすれば物理的に克服可能な性質のものだったからです。あるいは、そういう種類の「克服可能なマイナス」を敢えて導入することにより、人生を切り開こうとしたのかもしれません。この辺はわたしを個人的に知っている人でもよく伝わらないかもしれませんが・・。
 ただ、世間的に「エリート」な道を(当初)歩みながら圧倒的な劣等感を抱えてきた歪んだ人間として今言いたいのは、その「原因」のもろもろが「ココロ」や親にあったとしても、そういうことはおいておきなさい、ということです。「本人」「親」を世間が責めるように、あるいはそれ以上に、当人の心にも「本人」「親」に還元したい気持ちがあります。おそらく、確かにそこには「何か」があったことでしょう。ですが、その問題をなんとかするのは、政府がひきこもりを救うのと同じくらい難しいことです。そういう難しいことを考えている間にも、時間はどんどんすぎて人生が浪費されてしまうのです。
 だから政策指導者に(個人的に)求めるのと一緒で、まずはドライなところから切り崩しましょう。ココロは難しいからおいて、バカバカしい職能を身につけてくだらない仕事をしましょう。大体、職能というのはくだらないものです。でもくだらないものを提供してくだらないものをもらって生きていくのがわたしたちくだらない人間です。だから全然オッケーなんですよ。恥ずかしいことじゃないです。
 迷ったらお金が儲かる方を選びましょう。そんなことは世間の大勢にとってはむしろ「普通」なのかもしれませんが、ある種の人々はそういう判断の仕方がまるでできないということを、わたしはよく知っています。わたし自身がそうだったからです。
 決められない時は、数字で表現できるところで判断したら良いです。それが決定的に正しい判断ということはおそらくないですが、決定的に正しい判断を下そうとするとその前に多分寿命が来てしまうので、目に見えるわかりやすいところからやったら良いのです。責任取れなくても、その場しのぎでかわしているうちに死ぬから問題ありません。
 しんどくなったら散歩してください。人間は元来、ブラブラ歩いて落ちているものを拾って食べて生きてきたものですから、歩くと大抵のことは普通になります。これは「ひきこもり」だったわたしの友人が教えてくれた秘訣です。
 なんだか森田療法的なことを書いてしまいましたが、行動療法的思想というのはわたしにとってはかなり納得でき、かつ役に立つものです。多分、ぐちゃぐちゃ頭でものを考えすぎる質だからでしょう。考えなさすぎる人には考えてもらいたいですが、考えすぎてもおかしくなってきますから、散歩したりブランコ乗ったりすればバランスが取れます。

関連記事:
「大きな大きな一歩」
関連リンク:
新・後藤和智事務所

はてなブックマークに追加  delicious_s.gif  このエントリをlivedoorクリップに追加 FC2ブックマーク ニフティクリップ Yahoo!ブックマーク .

カテゴリ:世間・社会・歴史 <この記事を気に入って頂けたら、同カテゴリの過去ログを参照してみてください
よろしければクリックしてください>人文blogランキング  ランキングオンライン にほんブログ村ブログランキング


『「ニート」って言うな!』本田由紀 内藤朝雄 後藤和智

« 独立記念日 | ish☆手作りスキンケア・サイボーグ | 『イスラーム戦争の時代』 内藤正典 »

コメント

サイン・インを確認しました、 . さん。コメントしてください。 (サイン・アウト)

(いままで、ここでコメントしたとがないときは、コメントを表示する前にこのウェブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)


情報を登録する?