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2006年07月09日

『イスラーム戦争の時代』 内藤正典

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イスラーム戦争の時代 内藤正典『イスラーム戦争の時代』 内藤正典

 特別イスラームについて関心があるわけでもないのですが、ぼんやりとNHK特集を見るように楽しめる本を探していて手に取りました。後で知ったことですが、内藤正典さんというのはイスラームの研究者としてはVIVAアラブ!という手放しの人ではなく、ちょっと変わったポジションの方のようですね。その辺のバランスがマッチしたのか、面白く読めました。

 イスラームの「違い」を「違い」として認め、その上で『文明の衝突』のようなナイーヴな論に陥らず活路を見出そうという良書です。
 「敵はテロリストであってイスラームではない」とういのはどこの指導者も口にする定型句ですが、こうして「イスラームのことはおいておいて」とすることで、真の問題を隠蔽してしまっています。欧米には明白なイスラームフォビアがあり、かつイスラーム主義者は確かにイスラーム思想に基づき行動しており、その一部がテロに結びついてしまっているのも事実です。
 そこでは不公正や貧困と宗教思想が複雑に絡み合っているのであって、「イスラームのことはおいておいて」で済むわけがありません。
 決定的なことは、イスラーム主義者によるテロは、共同体の危機に対するイスラーム的対処に裏打ちされており、特定の「テロリスト集団」の指導によるものではない、ということです。特殊な思想を軸としたテロルであれば、テロリストは局所的に固まっているわけで、これを力で制圧することも可能かもしれません。しかしイスラーム主義者はそのような単純な「組織」を持っているわけではなく、「ある種の人々がある種の状況におかれた時の反応」を発現しているだけです。そのため、ビンラーディンを捕まえても一網打尽になどできるわけもなく、しかも世界中に何十億もの「ある種の人々」が千年以上にわたり存在している以上、「テロとの戦争」などナンセンスです。結局「ある種の状況」の方をなんとかしていく以外道はない、ということでしょう。
 確か米軍がアフガン侵攻を始めたばかりの頃「アルカイーダを殲滅することはできない、なぜならアルカイーダは運動であって組織ではないからだ」といった内容の記事を何かの雑誌で見た記憶があるのですが、正確な事実認識は別として、言わんとしているのはこういうことだったのかな、と思います(ちなみにアフガンの件はその後のイラクのインパクトが強すぎて陰に隠れてしまったと思うのですが、もうちょっと日本のメディアは「その後」を伝えて欲しいです)。

 と、まとめてしまうと、これはこれで抽象的な正論になってしまって力がありません。本書では主なヨーロッパ諸国の移民への対応など、具体的な事例を通じて「イスラームと西欧がどういう風にやってきたのか」をわたしのような素人にもわかるように語ってくれています。本当に全然予備知識がなかったので、非常に勉強になりました。
 フランスでムスリムの女子学生がスカーフで通学することが問題になった時、どうしてそれがあれほどの騒動になるのかよくわからなかったのですが、本書ではじめて理解できました。
 またトルコという国の特殊性にも非常に惹かれました。国民のほとんどがムスリムでありながらヨーロッパ型の国民国家を目指し、EU加盟を目指すトルコ。これを単純に是か非かなどと言うことはもちろんできませんが、実際にこの道を歩むことで明らかになった諸問題から学ぶべきことが沢山あるでしょう。「国民国家を象徴するような軍という組織がイスラーム主義の台頭を抑えるが、一方で『国民国家』として成熟してあるためにシヴィリアンコントロールにも自ら服さざるを得ない」といった「力のせめぎあい」「制しあい」がとても興味深いです。個人的には、是非EUはトルコの加盟を認め、緊張緩和への一歩を踏み出していただきたいです。そこに多大な困難があるのはもちろんでしょうし、他人事だからこんな調子で言えるのかもしれませんが・・。

 で、本書の主題からはそれるのですが、わたしが個人的に一番興味を惹かれたのが以下の下り。

 ムスリム、とくにアラブの人びとにとって、声に出して読まれることばの力は、西欧社会や日本社会と比べると格段に大きな力を持つ。(・・・)
 アラブの国で詩の朗読会などに行ってみると、言葉に心を動かされ涙する人や、思わず返歌のように即興で詩を朗誦し始める人がいる。そもそも、アラブ諸国やトルコで流行する歌と言うのは、メロディーの印象よりも歌詞の持つ力と歌唱力によるところが大きい。
 シリアやトルコの大学にいたときに気付いたのだが、学生は先生の言葉を丸写しにするようにノートを取る。そんことをしていたら自分の頭でものを考える力が付かないだろうというのは、わたしたちのように西欧諸学の体系を学んだものの感覚である。(・・・)
 最近、トルコの新聞にわたしのインタビュー記事が掲載されたときにも(・・・)わざわざ日本に国際電話をかけてきた友人がいて、「お前の言っていたこの言葉が気に入った。あのフレーズが気に入った」と列挙するのである。普通わたしたちなら、その主張を要約して論点を抽出し、それを巡って賛否を論じる。だが、アラブ人もトルコ人も、文章の中から特に気に入った言葉を選び出して、何度もかみ締めるように繰り返し口で唱える。(p70-p71)

 とてもとても面白いです。隠喩的というより換喩的というか、神経症親和的というより倒錯親和的というか。デリダ読みの方なんかどういう反応するんでしょうね(笑)。
 こんな文化の人びとと袖触れ合うだけでも接してみたくなりました。
 いや、もちろん、向こうで暮らしたりしたら尋常じゃなく厳しいでしょうし、そんな根性がない自覚くらいあるので、ホント袖触れ合うくらいで・・。

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