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2006年07月28日

『アメリカの原理主義』河野博子

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アメリカの原理主義 河野博子『アメリカの原理主義』河野博子

 またジャーナリスト本です。
 いきなり余談ですが、ジャーナリストの文章というのはツカミがうまいです。学者さんや作家の文章と違って、どーんと構えて待っているようなことをしません。一回逃したらもうアウト、という切迫感があって好感が持てます。この『アメリカの原理主義』もツカミから展開までドキドキしながら読み進められました。

 で、これはかなりオススメ、というか是非是非読んで欲しいです。

 良いポイントが多すぎてごちゃごちゃ言いたくないのですが、神様大好きでありながら中絶選択の自由にも同性結婚にもかなり関心を持ってきた人間としては、ものすごいツボを突かれました。もうほんと、お願いだから読んでください。
 極右・宗教右派・キリスト教原理主義の実態、これらの「右より」思想が草の根的に支持を拡大していっている背景、中絶や同性結婚といった「倫理問題」がなぜアメリカの政治で大きな争点となるのか、等々が平易にまとめられています。特に多少なりともフェミの影響を受けたことのある方なら、学ぶところが大きいです。
 つくづく感じるのは、リベラル勢力(とりわけ中・上層階級や知的階級)が、庶民の不満と真面目に向き合うことに失敗してきた、ということです。なんだかボルシェビズムと「上からの革命」みたいな話ですが、例えば社会構築主義フェミニストたちは、その理論的透明性に拘泥する余り、この辺りの取り込みに無神経すぎたように感じます。別にエントリを立てるつもりですが、『私家版・ユダヤ文化論』で内田樹さんが指摘されている「『政治的に正しい』言説の何も言わなさ」に通じます。社会構築主義者の主張は「政治的に正しい」ですし、少なくともこれは牙城として断固守らないといけないとわたしは信じていますが、それだけで済ませてしまうと相対主義的な「届かなさ」から一歩も出られず、現実の政治ではほとんど何も言ったことにならない、ということです。
 特にショックだったのは、かつて妊娠中絶を禁じる法律が憲法違反であると訴えた訴訟の原告であったノーマ・マコービーさんがその後中絶反対派に「転向」したいきさつです。彼女が「操られた」と感じている中絶反対派の女性弁護士たちの言動や、プロ・ライフ派(中絶反対派)の草の根的活動を知ると、「転向」も理解できます。
 片田舎の労働者階級の家庭に生まれて貧乏のどん底で暮らしていた彼女は、三度目の妊娠で「もう産むのはイヤだ」と感じて中絶医を探します。そんな彼女が出会ったのが、「原告」探しをしていたプロ・チョイス(中絶選択容認派)の女性弁護士二人でした。しかし裁判はあくまで彼女たちアクティヴィスト主導で行われ、判決も新聞で知ったそうです。裁判を取り上げた映画へのコンサルタント料についても「全米女性機構(NOW)に寄付すべき」と諭されたとのこと。彼女はそのお金で生まれてはじめて医療保険に入ろうとしていたのです。個人的にはあくまでプロ・チョイスですが、それだけに彼女の歩んだあまりに惨い足跡には、胸が締め付けられそうになります(ちなみに彼女自身は一度も中絶していません)。
(注:NOWは中産階級女性が中心となったいわゆるリベラル・フェミニズムを代表する組織ですが、この思想についてはフェミニズム内部からも批判があり、その後のフェミニズムの多様な展開につながっています。「フェミ」と一口に言っても非常に広範な考え方があり、アジェンダによっては正反対の立場を取ることもあるくらいですから、上のエピソードからフェミニズム全体を判断してしまうのは早計です)

 この辺の「サヨクに無視される感じ」を理解するのは非常に非常に大切です。
 多少わたしのことを知ってくれている人なら、なんとなくわたしという人間は一応リベラルな理想を持っていたり、あるいはラディカルなまでに左寄りだと思われているかもしれませんが、自分ではむしろ反動的と言っても良いくらい愚劣な意味で保守的人間だと思っています。
 これは、一部の人がわたしが「帰属」していると認識している「ある種の人たち」(わかる人だけわかって)についての理解ともクロスオーバーします。この「ある種の人たち」のことを、常識にとらわれないものの見方をしているとか、社会の枠組みにアンチを唱えているかのように勘違いしている人が結構いるのですが、まったく反対で、制度への隷属にためなら身を切り刻むのも恐れない、というのが真相です。ただ、あんまり<普通>だと、世間では<普通>とみなしてもらえなくなり、むしろ過激な人たちだととらえられる、というだけです。
 要するに「すごく<普通>に生きたくて、すべてではないにせよ伝統的価値観も嫌いじゃなくて、さらに神様にも結構惹かれるのに、<普通>の社会の中では<普通>にさせてもらえなかった」「<普通>にするために全然普通じゃないことをせざるをえなかった」という人間です。それだけに制度としてはリベラルであって欲しい、一方でその中で捨象されてしまいがちな「根拠がないけれど絶対的な価値」にも魅力を感じる、という矛盾を抱えているわけです。
 だから「<普通>にするために全然普通じゃないことをせざるをえない」人間に対して、世間的なイメージで一見優しそうなサヨクが、実に力なく頭も悪く役に立たないことは非常に良く知っています。「サヨク」と十把ひとからげにしてはもちろん不適切なのですが、少なくとも一定以上の階級に属するリベラルな文化人の類というのは、彼らが口にする問題系の多くについて、あまりにもリアリティを持っていないように感じられます。そういう人たちがお仕着せで考えた福祉システムになどには、とても相乗りできません。わたしは基本的に「小さな政府」を支持します。
 一方で単純な新自由主義的制度があまりに危険でうまくいかないことくらい想像がつきます。原則として「介入しない」ガバナンスを実行して欲しいですが、「過剰な不平等」というあまりにも伝統的ですっかり流行らなくなった問題が、多くの軋轢を生んでいるのも事実です。ここに目をつむりすぎてしまうと、お題目を唱えているだけのサヨクと同じしっぺ返しを食うことになります(アメリカにおける宗教右派の台頭もイスラーム主義者がテロに走るのも結局同根です)。
 とはいえ、ここで「理解」など求めても始まりません。だからヘンな理想を掲げないで、「持てる者」は持っているものをうまく守るために、純粋に利己的な動機で「持たざる者」に配慮していただきたいです。それが本当にクレバーな「支配」のやり方です。いや、本当に「持てる者」、成金ではない「勝者」は、そういう小知恵もちゃんと働かせてくれているのですけれどね(この点で田中宇さんの「せめて帝国になってほしいアメリカ」というコラムは示唆的)。
 倫理的問題などに余計なこと言わず、「持てる者」に気持ちよく稼がせてくれる「小さな政府」は、宗教右派に「持たざる者」がかけこまない程度の配慮は払うべきです。少なくともわたしはそういう政府を望みます。自分自身が神様大好きだからこそ、その領域が政治に介入しないではいられないような世の中は勘弁してもらいたいのです。

 わたしは、わたしのやり方で<普通>に生きさせて欲しい。
 <普通>であることの素晴らしさを訴えるのは結構ですが、普通にしていたら<普通>になれない人もいる事実を視界の隅に置いて欲しい。
 <普通>に生きるには色々な方法があって、その方法の中には全然<普通>ではないものもあるということ、そのことについて別段理解なんて望まないので、放っておいて欲しい。手を差し伸べて欲しいとは思わない。ただ放置して欲しい。所詮わたしたちは「理解」などし合えないのだから、わからないものはわからないもので黙っていて欲しい。
 それが認められないなら、わたしはわたしの<普通>を守るために、既に<普通>な人たちにいつでも躊躇なく銃を向けるでしょう。この銃の引き金は、あなたたちの「理解」を越えて軽いです。

 これを読んだ直後くらいにCNNを見ていたら、丁度キリスト教原理主義と「レフト・ビハインド」(黙示録の世界が現代に展開し、マッチョなキリストが罪人を懲らしめていく電波本。映画化もされている)の話題が取り上げられていて、食い入るように見てしまいました。キャスターの視点が割と冷静で少し救われたのですが、もう気が気じゃないです。

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