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2006年11月12日

「余り」について

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 先日「追い抜いちゃった人たち、愛=暴力、資本」しあわせのかたちさんの「追い抜いちゃった人たち」というエントリに言及したところ、反応して頂けてしまったので、ちょっと補足というか蛇足というかしておきます(いきなり余談ですが、「蛇足しておきます」って表現はなんか気に入りました)。

 わたしたちが生まれながらに背負っている「余り」について。
 キチンと説明できる器量があるわけでも、自分の理解が正しいという確証もないのですが、「とにもかくにも<わたし>が存在してしまっているわけのわからなさ」「<わたし>が『この』わたしであること」だと思うと、わたしにはしっくり来ます。って、いきなり訳がわかりませんね。
 もちろん、わたしは平凡な一人の日本人で、何ら特別な人間ではありません。でも、少なくとも二つの特別さがあります。
 一つは「この」わたしであることです。駐車場にカローラが並んでいてその中に一台ポルシェがあったら、それは特別です。でもここで言いたい特別さはそういう特別さではなく、全部カローラなのだけれど、自分のカローラは一台だけ、という特別さです。つまりspecialではなくpaticularということです。ドラえもんに「(パンダもコアラも貴重だけれど)のび太は世界に一人」という名台詞がありましたが(あった気がする)、そういう特別さです。もうちょっと格調高いものなら『星の王子さま』です(また余談ですが、さるステキな縁から最近になって初めて『星の王子さま』をキチンと読んだのですが、本当に本当に素晴らしい作品でした)。
 こちらの方はすぐにおわかりいただけるでしょう。
 問題は二つ目。
 端的に「<わたし>が存在する」こと自体です。要するに独我論的<わたし>なのですが、<わたし>がなければ世界などないも同然、という時のわたしです。カーブの向こうには世界が存在しないかもしれない、という<わたし>です。「森の奥で倒れる大木の音」が存在するのかしないのか、というとき、存在しない、という<わたし>です(正確には「存在しない」と答えるわけではなく、この問いを立てること自体がすでに<わたし>の所業)。
 二番目の特別さは、「一人称の特殊性」のように一般化してしまった途端にまったく違うものに変質してしまう特別さです。今こうして語っている内容が伝わってしまうことだけでも、ゼロになってしまう特別さです。ですから究極的にはそれ自体として取り出せない特別さなのですが、無限背進のように常に想定可能なものでもあります(だから独我論は「論破」できない)。
 こちらの<わたし>について、わたしの知る限り最もわかりやすく素直に語ってくれているのは永井均さんの『<子ども>のための哲学』です。わたしなどがグダグダ言うより、とりあえずこの本を読んでみてください。損をしたと思ったらわたしがお金返します。(註)
 この特別さを「余り」と呼ぶのは、それが世界の中にあるようでありながら、世界そのものから飛び出してしまっているからです。正確には世界の縁そのもので、存在者たちがキレイに居並ぶ世界の中で文字通り「割り切れない余り」となってしまっている、ということです(「割り切れなさ」は無理数の「割り切れなさ」ですが、これを極めて平易に解説してくれている名著に新宮一成先生の『ラカンの精神分析』があります。新宮先生については、ちょっと想いがありすぎるのでこれ以上語れません)。

 と、異様にそっけなく終わらせてしまったのですが、このもの自体についてズバリ語るというのは、難しいとかなんとかいう以前に、非常にしんどいのでやりたくないのです。このことに「ピンと来ない」のは非常にラッキーなことなので(そして人類の大半が「ラッキー」)、できれば理解しない方が良いと思います。まぁ、今切実に追い詰められれていない方が観光的に思考する分には別段危険はないと思いますが・・。
 ついでなのでぶっちゃけな痛い話をしてしまいますが、こうした問題についてヘンに本を読んでしまったり「素晴らしい人」に出会ってしまったりするのは、時に非常な危険を伴いますので、注意した方が良いです。永井さんの語り方は、その点恥ずかしいくらい安全性を確保しているので安心です。壮絶な勇気をもって身も蓋もない書き方をしているからです(これについて特にアカデミズム内部から様々な批判があるでしょうが、そういう批判で「文献学の牙城」を守った気分になっている大学人どもには心底恥を知って頂きたいです)。
 危険なものの代表格はラカンです。
 多分sho_taさんなどはお気づきだと思うのですが、彼は世紀のトリックスターで、自分の語らいの「わけのわからなさ」「時々スッとわかる感じ」「まだ何かあると匂わせる引き方」などの効果をすべて織り込んだ上で語っています。だからこそ彼は常に真理を語れてしまっているのであり、本当に超人だと思いますが、ある種の人びとにとっては冗談ではなく死の危険すらもたらす力があります。少なくとも、わたしは一度死にかけました(笑)。
 冗談のようですが、ヒステリー者のようでありながら実はパラノイア親和的人格の人間に分析を施すことで統合失調症の発症を促してしまう、という現象が分析の現場では現実にあります。
 わたしの場合、その後別の意味で常軌を逸するイロイロな遍歴があって、素晴らしいことにラカンの言っていることがよくわからなくなりました。つまり自力?である種の「治癒」を達成しました(=別の症候の獲得に成功した)。お陰で今はラカンの名前も割りと平然と口にできます。本当に良かったです。
 別段「ラカンを読むな」とか、この手のことを考えるな、とまで言う気はないのですが、退路だけは必ず確保しておいた方が良いです。平日キチンと社会人をやっている人間なら、月曜日になれば強制的にサルベージしてもらえるのでまず心配ないと思うのですが、引きこもりとか失業してて友達いないとか、単純作業のバイトで会話もなく一人暮らしといった方でラカンに魅力を感じてしまう人は、そのまま日本海溝に沈んでしまう可能性があるので本当に気をつけて欲しいです(別に引きこもりやアルバイトが悪いと言っているわけではありません)。

 あぁ、本当に痛い話をしてしまいました。すいません。
 だからスキンケアのこととかに明け暮れているのは実に健全です。
 スキンケアに縁のない方なら、散歩も素晴らしいです。試験勉強も良いです。
 ある古い友人は、文字通り死線をさまよった挙句に奇跡的に生還、その後カンフーを始めてすっかり元気になりました。今ではムキムキ好青年です。
 それからですね、技術書とか説明書の類も良いです。もちろん、ただ読んでいるだけでなく実践し効果を立証できないといけません。できれば仕事でやってちゃんとプレッシャーを受けた方が良いです。F5で実行できるものは素晴らしいです。
 そうしたものばかりの人生は実にツマラナイと思いますし、最初からそういうことにしか興味を持っていない人間にはまったく魅力を感じませんが、ある種の人たちがバランスを取る上ではとても良い薬になります(骨の髄からエンジニアの方には大変失礼な発言で申し訳ありません)。
 ウィトゲンシュタインの良いところは、実はあれは「説明書」だということです。文学のように読んではいけません。洗濯機とかについてくるアレと一緒ですから、そういうつもりで読み飛ばすのが正解、とわたしは信じています。

 そうそう、わたしの先輩が素晴らしい名言を吐いています。
「仕事は薬だと思ってる。なしでやっていけるなら一番だけれど、必要だから毎日やっている」。
 深いです。
 ある意味、こういうスタンスこそ最も美しい「仕事人」の姿なのではないかと思います。不平タラタラのサラリーマンよりも、仕事中毒よりも、仕事をしない人間よりも。


註:
 この二つの「特別さ」は、非常にしばしば混同されています。特に後者が前者に回収されて語られているケースが大変多いですが、それは後者の問題が本質的にそれ自体として取り出すことが極めて困難だからです。慎重に峻別する必要があります。
 ですが、もうちょっと考えると、後者が前者に回収されがち、ということ自体がわたしたちの語らいの地平の性質を写しているとも言えます。多分ウィトゲンシュタインであれば、「うっかり前者に回収して語れてしまった人」を成功者として祝福したのではないでしょうか(そしてほとんどのウィトゲンシュタイン研究者は決して祝福せず鼻で笑う)。この「うっかり」こそが真の治癒であり、下世話な言い方をすれば「大人になる」ということのような気もします。

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