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2006年11月25日

聖書、たとえ話、パラボレー

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『『新約聖書』の「たとえ」を解く』 加藤隆『『新約聖書』の「たとえ」を解く』 加藤隆

 「新約聖書の『たとえ』を解く」。「聖書」で「たとえ話」と、極私的に非常にグッとくる素材。書店で見かけて迷わず手に取ってしまいました。
 期待しすぎたせいか、全体の読後感としては「まぁまぁ」なのですが、非常に刺激を受けたポイントがありました。
 パラボレーという概念です。

 「『新約聖書』の「たとえ」を解く」では、たとえ話が「パラボレーであるたとえ話」と「それ以外」に分類されています。
 パラボレーとは、時間的な流れがあり、一見したところ語られている文脈と無関係に見える「たとえ話」です。つまり物語形式のたとえ話のことで、「誰も二人の主人に仕えることはできない」等の(ストーリー性のない)隠喩はパラボレーから除外されます。
 パラボレーの中にはしばしば何らかの「異常性」が含まれます。聖書の「種まきのたとえ」には、収穫が「三十倍、六十倍、百倍になる」という下りがありますが、これはどう考えてもちょっと大げさです。しかしこのような誇張表現、「異常性」が含まれることで、聞き手は一見卑近な挿話に見えるお話の中で「気付き」を得、非日常的なメッセージを掴むことができるわけです。
 さて、実は共観福音書(新約聖書の冒頭にある四つのテキストで、イエスの言行を記している)の中で、ヨハネによる福音書にだけはパラボレーによるたとえ話が一つも含まれていません。共観福音書には四十三のたとえ話があるそうですが(内容的重複含む)、ヨハネによる福音書には一篇もないのです。本書での指摘を読むまで、恥ずかしながらまったく気付いていませんでした。
 聖書を読まれたことのある方なら、福音書の中でヨハネによる福音書だけが何かトーンが違う、という印象を受けたことでしょう。カッチリしているというか、敷居が高いというか、おしなべて親しみやすい福音書の中で、なぜか「壁」が感じられるのです。
 今までこの違和感の源泉について深く考えたことがなかったのですが、「パラボレーであるたとえ話が一つもない」との指摘にはハッとさせられました。
 「パラボレーであるたとえ話」には、超越的世界と、聞き手の日常世界を強引に連続させてしまう力があります。
 以下、少し長くなりますが本書「あとがき」から引用させて頂きます。

 ヨハネ福音書のイエスは「わたしは・・・だ」という「隠喩(メタファー)」の表現を多用している。「わたしは光だ」「わたしは道だ」といった類の表現である。こうした表現は、何となく謎めいていて、深いものがあるような感じがする。何となく「宗教的」な雰囲気が好きな者たちが取り付きやすいものになっている。しかしこうした隠喩表現は、「パラボレーであるたとえ話」に比べて保守的で単純である。(・・・)
 たとえばイエスが「わたしは道だ」と述べる。イエスに権威を認めたい者たちは、この表現をうやうやしく受け取る。(この)言葉の前で、受け取る側は、あくまで「イエス」の側にとどまる。その「イエス」は、いわば「<道>的要素」が新たに加わった、いわば「<道>的なイエス」である。しかしこの「<道>的なイエス」にこだわっている限り、イエスそのものに読者は決して至らない。イエスはそもそも道ではないからである。(・・・)
 しかしイエスにたどり着かないことは、安心できることでもある。自分たちの日常的・常識的な世界を捨てないで済むからである。(・・・)
 ヨハネ福音書は「イエス中心主義」である。これに対して「パラボレーであるたとえ話」は「神中心主義」だと言うことができるだろう。しかもこの「パラボレーであるたとえ話」は「イエスなし」でも成立し得るようなものである。

 「パラボレーであるたとえ話」には、宗教的権威を地に引きつけてしまう面があります。ですから、この下りは初期キリスト教とその後の権威主義化を対比し、硬直した宗教体制を批判するもの(ひいてはテクニカルタームやジャーゴンによる権威の防衛全般への批判)として読むこともできます。
 しかしそれだけで終わってしまっては、「パラボレーであるたとえ話」の真の力を理解できないでしょう。

 「パラボレーであるたとえ話」は、なぜこれほど親しみやすいのでしょうか。
 それは、そもそもわたしたちが何かを「理解する」ということが、ストーリーという語らいの様式と密着しているからです。
 「風が吹くと桶屋が儲かる」では何のことだかわかりませんが、、「風が吹くと砂ぼこりが出て盲人がふえ、盲人は三味線をひくのでそれに張る猫の皮が必要で猫が減り、そのため鼠がふえて桶をかじるので桶屋が繁盛する」などと間を説明してもらうと、「なるほど」と納得できます。つまり「理解する」とは、連続性を把握することであり、事象と事象を「つなげる」こと自体です。
 もちろん、「なぜ風が吹くと砂ぼこりが出るのか」と問うことは可能で、どこまで密になれば連続と言えるのか、という問題は残ります。だから究極的には理解の根底にも非連続性があります。シナプスとシナプスの間に非連続性があるように、「つなげられるギリギリの距離」のようなものがあり、その閾内に入った途端にバチバチッと物語が走るのです。
 だから「パラボレーであるたとえ話」は「よくわかる」のですが、それだけではただのお話です。
 重要なのは、その根底に「わからないもの」が依然として横たわっていることです。
 「イエスは道」と言ってしまうと、わからないものはわからないもののままです。「わかる人にはわかる」状態ですと、「わからない」と感じた人はそれ以上思考することをやめてしまいます(根性で乗り越える人もいますが)。
 では「パラボレーであるたとえ話」を使えばわからないものがスッキリわかるかというと、そう簡単ではありません。お話の内容はわかるわけですが、そこに込められたメッセージは必ずしも平易ではなく、やはり「イエスは道」的に絶壁があるのです。すると「わかるものの中にわからないものがある」という不思議な状態が現れることになります。
 つまり「わかる」もの、親しみやすく「内」であるものの中に、異質で「わからない」「外」を発見することです。
 隠喩が本質的に「外部へと抜けるもの」であることは本書でも語られていますが、その「外」が自分とは関係のない「外」である限り、「外」はリアリティを持ちません。「外」に抜け切ってしまった者、「わかる人にはわかる」の「わかる人」の側に立ち、権威を得ることに成功したものだけが「外」にいます。もちろんこの「外」は、市井の「内」から見たときの「外」であって、「わかる人」にとっては「内」ですから、結局誰も「外」には出ていません。「外人」も祖国ではネイティヴですから、本当の「外」は場所ではなく、移動そのもの、むしろ場にありながら場から出るという逆説にしか発見できません。
 「パラボレーであるたとえ話」には、「内」に「外」があることを気付かせることで、そうした「移動」を実現します。
 Someday never comesや「幸せの青い鳥」ではないですが、「いつか」は既に始まっていて、「遠く」は一番そばにあります。
 そう言ってしまうとファンタジックでステキですが、これは非常に苦痛を伴う発見でもあります。最も近くに、最も異質で無気味なものがあるのです。それは自分が自分でなくなってしまうような経験ですが、実はそういう体験においてこそ、主体は最も主体となります。「これがわたし」と信じていたものから引き剥がされて、それでも尚「わたし」が消えない瞬間、わたしたちは初めて「わたし」を発見します。それは時に、「これが君だよ」という恐ろしく無気味な経験ですが、同時に死に至るような狂おしい享楽の瞬間でもあります。

 本書全般は、比較的タイトに「やさしい文献学」を展開しているもので、必ずしも上記のようなテーマが語られているわけではありません。ですが、そうした「気付き」をもらえただけでも元は取れました。
 また前半にはちょっと意外な読解も解説されていて、「イエスのこのたとえ話にはこういう解釈もあり得る!」ノリへの期待にも答えてくれます(おそらく意図的にツカミとして配置したのでしょう)。
 隠喩全般についての概説は、この手の話に慣れた人には通り一遍すぎますが、逆に初心者(?)には大変親切です。全般に解説が非常に丁寧なため、「共観福音書って何?」な方には、聖書入門にもなるでしょう(共観福音書の二資料説等に興味を持たれた方には『聖書―これをいかに読むか』もオススメです)。

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