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2007年01月08日

『「ニッポン社会」入門』、外国人と子供

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『「ニッポン社会」入門―英国人記者の抱腹レポート』 コリン・ジョイス ColinJoyce 谷岡健彦『「ニッポン社会」入門―英国人記者の抱腹レポート』 コリン・ジョイス

 「外国人は日本人をこう見ている」系の本というのがあります。
 個人の手記的なもの以外でも、『世界の日本人ジョーク集』とか『日本はどう報じられているか』といった書籍もこの系譜に属するでしょうし、あるいは「ここがヘンだよ日本人」(懐かしい)等のテレビ番組も同様でしょう。
 諸外国にこうした書籍やテレビ番組があるのかよく知りませんが、おそらく日本人はこの手の話題が比較的好きなな国民なのではないかと思います。
 だからと言って、日本人がとりわけ「他人からどう見られているか気にする」というわけではないでしょう。「ここがヘンだよ」について、当の出演者だったゾマホンさんが「外国人に自国について公開の批判の場を開いている日本人は素晴らしい」といったことを書いていた記憶がありますが、そんな高尚な意識であの番組を見ていた人はまずいない筈です。
 単に「日頃見慣れたものに対する新鮮な視点を楽しみたい」といった娯楽精神が主たるものでしょうし、丁度「変わったものを見てみたい」観光旅行の裏返しなのではないかと思います。要するに田舎者なのでしょう(笑)。
 別段悪いことだとは思いませんし、平凡な日本人の一人として、この手の書籍は割と好きです。
 もちろん「外国人の見た日本」モノも千差万別で、ハッとさせられるようなものもあれば、ナイーヴな誤解に満ちていたりステレオタイプの焼き直しのようなものもあります。
 そんな中、この『「ニッポン社会」入門』はかなり秀逸な一冊でした。
 日本人とか外国人とかいう以前に、著者のジョイス氏はかなり頭の良い人ではないかと思います。
 単に知識が豊富とか勉強熱心ということではなく、深い洞察力と思考力、そして素晴らしいユーモアを兼ね備えた人物です。
 加えて、「書く」という行為に(おそらくは半ば依存するほど)強く宿命付けられた人間の匂いがします。本業が特派員記者さんなので当然かもしれませんが、話し言葉で伝えられないことをただただ書記の中に刻印することで救われているタイプの人物です(他人のことは言えませんが)。

 例えば、こんな下りがグッときます。

(「日本語は難しい」という通説が定着していることについて、いくつかの原因を述べた後)さらに、日本語をすでに習得した者の問題が加わる。ぼくを含め、日本語使えるようになった者にとって、「日本語はひどく難しい」という通説が保たれることは、既得権益の維持につながるのである。人はぼくらのことを、たんに頭がいいというだけではなく、何かいっそう神秘的な「他者」として見てくれる。ぼくらの言うことが真っ向から否定されることなどほとんどない。
(日本人との日本語会話において)ある日ぼくは、外国人は日本語をもっと上手に話すだけでなく、日本人とは違ったように話さなければならないということに気がついたのだ!  たとえば、自己紹介するときの表現。ぼくは日本語の先生から、「田中です」という言い方でまったく問題ないと教わったが、「コリンです」は違う。「私はコリンといいます」と言って初めて、会話がスムーズに運ぶのである。

 単に鋭い洞察が含まれているだけでなく、こうした内容を、語られている当の日本人が皮肉ではなくユーモアとして感じられるよう書くには、特別な才能が要求されるはずです。
 もちろん、もっとお気楽な「こんな風景は日本にしかないよ」エピソードにも事欠きません。傘をさしながら自転車でやってきたオバチャンは、ぶつかりそうになるとなぜブレーキをかけるのではなく自転車から飛び降りるのか、日本人でもオバチャン以外には理解できないと思います(笑)。
 笑えるネタとしては、「日本を知らないイギリス人をこんなジョークでからかってやれ」な章が好きです。

「新宿駅の改札で待っている」とだけ言おう。それ以上、具体的に説明してはならない。

朝、混雑した電車に無理に乗る必要はないとも言っておくとよい。「次の電車を待てばいいよ。すぐに来るから。それも混んでいたら、その次のを待てばいい」

 ハッとしたものとして、「日本人の子供が非常に可愛く見える」という記述があります。これだけならどうということはありませんが、著者は「日本人には西洋人の子供がとりわけ可愛く見えるらしい。面白い」と記しています。
 そもそも、外国人と子供というのは似たポジションにあります。
 どちらもこの世界に「最近やってきた不慣れな人たち」で、なかなか「普通」に扱ってもらえない一方、失敗しても多めに見てもらえるところがあります。
 外国で暮らすことが新鮮であったり、また外国人に妙に親切にしてしまったりするのには、外国人を子供のように扱う、という心理が働いているように感じます。裏を返すと、外国人に対する扱いには、その社会の子供の扱い方が映されているところがあります。
 「外国人の子供」というのは、言わば「二重に子供」なわけで、とりわけ可愛く見えるのも理解できる気がします。

 ちょっと特殊な事情があって、わたしは母国にいながら「外国人」のような気分を味わうことが比較的多い人間なのですが、実はこの「外国人気分」で自分の精神を守っている部分も相当あるのではないか、と身につまされました。「外国人」は良くも悪くも特権的ですし、周囲が「外国人」であることを知らなくても(具体的に遠慮されることなどまったくなくても)、自分で自分に言い訳するのには大変便利なのです。
 ただ、何らかの形で「外国人」的ポジションを取ることにより、社会とうまくやっていく方法を身につけること自体は、悪いことだとは思いません。文字通り外国で居場所を見つけるのでも結構ですし、例えば、人付き合いが苦手な人が、社内で「あのヒトは変人だから」なポジションを取ることで、お互いに丁度良い距離を保てることもあるでしょう。
 そもそも、子供=外国人という意味では、わたしたちは皆最初は外国人だったのですし、完璧に「帰化」しきれるというのはむしろレアケースです。しかもいずれは「帰国」する身なわけです。普通の人はそんな「出身」のことなど考えずに日々生きているわけですが、外国人や子供に対する時の態度のズレには、そうした出自と運命を忘れ切ってはいないことが表れているように思います(だから「適応」というモデルが過剰に評価されるのは非常に浅薄なことです)。

 最後に、大変共感でき、かつわたし自身も日頃そのように振舞ってはいるものの、同時に大変「西洋的」で、多くの日本人が頭で了解しても行動面ではなかなか受け入れてくれない、そんな警句を引用しておきます。

ローマに来たら、ローマ人の習慣を知り、それに敬意を表すべきだ。しかし、ローマ人の規則の中に馬鹿げたものがあったら、穏やかに疑問を差し挟んでもかまわない。もちろん、だからといってローマ人はその規則を変えねばならなくなるわけではない。たいていのローマ人は合理的で、外国人である君にすべての習慣に従うことを求めたりはしていない。実際、ローマ人自身、規則に少し変更を加えた方がいいと少なからず思っているものだ。

 地球に適応できるのは、まだ大分先のような気がしてきました・・・。

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