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2007年02月18日

『神々の沈黙』1 意識、声

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『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』 ジュリアン・ジェインズ Julian Jaynes 柴田裕之『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』 ジュリアン・ジェインズ

 先日のエントリで取り上げたデイヴィッド・ホロビンの『天才と分裂病の進化論』でも高く評価されているジュリアン・ジェインズによる『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』。
 3000年前まで人類は<意識>を持っておらず、右脳から響く「神々の声」に従っていた、という、それだけ書くと『天才と分裂病の進化論』に輪をかけてオカルト的に響いてしまう内容です。
 かなりエキセントリックな本であることは確かなのですが、第一にここで<意識>と呼ばれているものは「心」という意味ではなく、後述するように極めて限局された心的現象のことです。第二に、「右脳」がやたら取り上げられていて、そして多くのイージーな読者がこれに惹かれているであろうこととは裏腹に、筆者の意図は器質的な構造への還元にはありません。第三に、「神々」にはまったく「スピリチュアル」な意図はなく、わたしたちの多くが共有している今日的な「心」のあり方とは異なる、ある様式を表現するために用いられているものです。
 『神々の沈黙』の主張を字義通りに取るとすれば素直には頷けない部分が多く、議論や文体もそれほど魅力的だとは思えないのですが(個人的に「心理学」嫌いで古代文明にあまり興味がないこともあり)、一方でインスパイアされる部分のとても多い本でした。内容自体としては他愛もない神話や伝承が、多重的解釈により広大な意味の領野を示すようです。つまり「事実」としては怪しげでも、何か決定的な「真理」の断片を掴んでいる、そういう本です。
 そのためここでは、『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』の主張自体というよりはむしろ、その再読解・解釈による展望を主にエントリを立てます。

 冒頭三章は少し退屈な内容。メルロ・ポンティあたりを読んでいる読者には今更な部分もありますが、ここで<意識>と呼んでいるものが「何ではないか」を明確化している二章については、正確に読まれるべきです。
 わたしたちは<意識>なくしても相当程度の「心的営み」を行うことができます。<意識>は「知っている」こととは異なり、<意識>なしでも概念の習得は可能であり、学習も思考も理性も<意識>なしで行うことができます。このうち「思考」についてはさすがに「そんなはずはない」と考える方も多いと思いますが、思考が<意識>抜きで可能ことについて、本書では<ストラクション>という概念を使って大変わかりやすく説明されています。
 では<意識>とは何なのでしょうか。

わたしたちは意識を理解しようとしている。しかし、なんであろうとそれを理解しようとする時、わたしたちは本当は何をしているのだろうか。わたしたちは何かを理解しようとする時、わけのわからぬものを説明しようとする子供のように、その「何か」の比喩を探しているのだ。(・・・)何かを理解するというのは、(・・・)ある比喩にたどり着くことだ。
(・・・)
理論はモデルとデータをつなぐ比喩と言える。そして科学における理解とは、複雑なデータとわかりやすいモデルとの間に類似性を感じることなのだ。
(しかし意識の理解はそのようにはいかない、なぜなら)わたしたちの現下の経験の中に現下の経験自体に似通ったものなどないし、あるわけもないからだ。したがって、意識の対象を理解するのと同じ形では、けっして意識を理解できない面がある。

 ここでジェインズは「アナログ(類似物)」という概念を示します。「アナログ」はモデルですが、科学一般で使われるモデルではありません。科学におけるモデルは理解のための仮説として機能することを目的としていますが、「アナログ」はそれが類似している事物によって生み出されます。ジェインズは「アナログ」の例として地図を挙げます。地図は現実の土地の「比喩」であり、比喩的関係により成り立つモデル、それが「アナログ」です。そしてジェインズは<意識>を世界の「アナログ」である、とします。
筆者は<意識>を比喩から生まれた世界のモデル、現実の世界の「アナログ」(類似物)として定義します。

意識ある心は世界の空間的アナログであり、心的営みは身体的営みのアナログだ。意識は客観的に観察できる事物にのみ働きかける。

 つまり<意識>とは、比喩という言語的機能による「場」であり、その「場」を見ているとされる<わたし>です。
 ここでジェインズが<意識>をあくまで言語との関係から捉えようとしているのは非常に大切で、かつ正確です。本書全般を通じ、右脳や古代文明を巡って何とか議論を「実証的」に仕立てようという努力が続くのですが、この問題の切り出し方がなければ、解釈の意欲もそそらないオカルト本で終わっていたかもしれません。逆に言うと、ジェインズ自身にはキチンと語ることのできていない「言語・<意識>・声」という軸意識がなければ、ただ心理学者から脳や歴史についての曖昧な話を聞くだけになってしまう、とわたしは考えます。※
 表象を巡る哲学の伝統的議論に少しでも触れたことのある方なら、「類似」という説明法のナイーヴさに呆れるかもしれません。表象が世界の「写し」であり、「写し」と世界の間には「類似」があるとしても、「世界そのもの」は表象を通じてしか知ることはできないため、知覚不可能な「世界そのもの」との「類似」などナンセンスだ、ということです。
 しかしジェインズの主眼があるのはそこではありません。一つは<意識>が言語活動としてあること、今ひとつは比喩そのものより「比喩連想」により生み出される空間としての<意識>、という点を示したいのです。「雪が毛布のように山肌を覆う」というとき、毛布が雪の比喩なわけですが、「毛布」という語から生み出される毛布を巡る語の連想空間、まどろみやぬくもり、これが「比喩連想」です。<意識>の特徴は、それが「向こう」にある何かの比喩である(と想定される)と同時に、「こちら」にはこちらの空間を作り出してしまうことです。
 ジェインズ自身は言葉足らずで、正直うまく表現できているとは思えないのですが、要するにこれはシニフィアンの連鎖です。最初にあった「何か」は言語経済に組み込まれると同時に斜線を引かれfadeします。そしてシニフィアンはシニフィアンへと回付され、象徴ゲームは回り続けるのですが、このゲームが流動するのは、最初に「何か」が消し去られ、その穴を巡ってピースが移動するからです。

 続いて「イーリアス」の記述が取り上げられ、当時の人間には今日的な<意識>がなく、代わりに統合失調症の幻聴のような「声」が聞こえており、その命じるままに行動していたのではないか、という大胆な論が示されます。このような心的様式を、筆者は<二分心>と呼びます。
 突拍子もない話だと思われるでしょうが、もう少しだけ辛抱してください。ここは慎重に読む必要があります。
 まず、厳密な意味で幻聴様の現象が実際にあったかどうか、ということは、実はそれほど重要ではありません。<意識>に代わるような「決定するもの」を、<わたし>以外に想定したとしても、「心」はちゃんと機能する、ということが大切です。わたしたちは<わたし>が中心にあって決定する(と期待される)、というモデルにあまりにも馴染んでしまっているため、戸惑わないではいられませんが、前述の通りわたしたちは<意識>なしでも相当な心的活動を実行できます。わたしは<わたし>なしでもやっていけるのです。
 そのような「心」をイメージすることは難しいですが、例えば催眠術をかけられ「声」のままに動いている自分をイメージしてみてください。あるいは、夢の中などで、他者の命じるままに行動し、思考はしていても判断していない自分、というものを体験したことのある人もいるのではないでしょうか(しばしばこの操られている感じは非常に心地良い)。
 「声」が聞こえる、というのは、むしろ<わたし>に慣れ親しんだわたしたちが、<わたし>なしの状態を理解するためのアナロジー程度にとっても良いかもしれません。その「声」はもちろん銀河の彼方からやってくるテレパシー通信などではなく、依然として何らかの脳神経系機能によるものでしょう。わたしたちの言い方なら、その「声」はやっぱり自分の声で、「あなたは『誰か』と言うけれど、それはあなたの一部なのよ」と考えるでしょう。
 微妙ではあっても重要な差異は、それでもその「声」は本人にとっては「わたしではない」ということです。つまり他人にとってはその人であっても、当人にとっては自分ではない、そういう領域のことです。
 筆者は続いて右脳の話に移り、ウェルニッケ野の対称位置に「声」の源があるのではないか、とし、これを裏付けるような脳神経系的実験事例を挙げています。該当部位に微弱電流を流したところ「声」が聞こえた、といった類です。
 繰り返しますが、右脳に引きずられないで下さい。筆者自身も、器質的構造に還元することは危険であり、本質ではない、と述べています。
 世の中には右脳が大好きな人たちがいて、右脳さえ持ち出せば音楽の才能からサイコキネシスまで何でも説明できるかのように語ったりしますが、この手のワイルドカード的キーワードは単に思考停止の用具になっているだけです。もちろん考えたくないなら思う存分右脳してくださって結構ですが、それでは一番オイシイ部分を取り逃がしてしまいます。

 現代の健常な人間でも、強いストレス状態に置かれると幻聴が聞こえることがあります。別に統合失調症などではなくても、大抵の人は人生で一度か二度は「声」を聞いたことがあるものです。
 強いストレス状態とは、新しい状況に直面し、どうにも対処しようがわからない時です。もう判断するのも思考するのも苦しくなった瞬間、直観的な示唆が「声」となって表れるのです。筆者は<二分心>ではこのストレスの閾が非常に低かったのでは、と推測しています。
 新しい状況。『天才と分裂病の進化論』に響く着眼点です。
 『天才と分裂病の進化論』では、因習を打ち破り革新的創造を促す要因として「分裂病ゲノム」を想定しています(実際にそれが物理実体としてあるかどうかは本質ではない)。確かなことは、人間が他の生き物に比べると圧倒的に「新しい状況」に向かっていく種である、ということです。生物は特別な理由がなければホメオスタシス的循環を続けるもので、人類の歴史でも何万世代にわたってひたすらルーチン的にいき続ける時代が続いていました。快感原則は、田舎の空気ほどにも執拗なのです。
 逆に言えば、「新しい状況」というのは、生物にとって極めて強いストレスであることがわかります。現代の普通の人間でも、人生の節目というのは大変緊張するものです(そして統合失調症はしばしばこうした機会に発症する)。「目覚めよ、そして決断せよ」という状況に直面し、「目覚め、決断する」ものこそ強く正しい人間、というモデルは、特殊近代的なものにすぎません(象徴的去勢を遂げたものこそ「正常」である)。この法=象徴による「防衛」も一つの対処モデルではありますが、人類には別のオプションも残されています。つまり「声」に任せてしまう、ということです。
 もちろん、今日的状況で「声」が聞こえたとしたら、それは「病気」であり、しかも大抵は「決断する」以上に苦しいものです。しかし第一に、『天才と分裂病の進化論』の論の通り、(n-3不飽和脂肪酸の欠乏等により)現代都市の生活がとりわけ統合失調症の病像の深刻化させているであって、本来の「声」は別様であった、ということが可能性としてはあり得ます。第二に、「声」が深刻なのは、わたしたちが「声」に代わる<わたし>を既に獲得しているから、という、より大きな可能性があります。ラカン的に言えば、このような人びとは<わたし>を十分に獲得していないわけですが、<わたし>の模倣については高度に習得しています(だからこそ独我論的不安を常に茫漠と抱え、何かのきっかけでこれが顕在化する)。もしかすると、「声」がこれほどまでに破滅的状況をもたらしてしまうのは、「声」と<わたし>のミスマッチ、とういだけの問題なのかもしれないのです。

 長くなりましたので、続きは次のエントリで。

※このエントリでは、本書における「意識」を<わたし>と同一視するような記述をしています。ジェインズ自身は意識の第一の特性は<心の空間>(心理的事象に視覚的比喩が用いられることにより形成される世界の写しとしての場)であり、それを「見て」いる<わたし>を第二の特性として挙げています。
 本エントリでこれを<わたし>と記す意図は、見ている<わたし>と見られている<場>は同時的であると考えるからです。<わたし>は<場>に先立たれるものですが、わたしたちは<場>を獲得すると同時にこの空間を通じてしか「意識的に」世界を見ることができなくなります。言わば「わたしあっての世界」のような世界が、唯一の世界になるのです。
 ですから、この<わたし>は独我論的<わたし>に連なるものではありませんが、永井均さんの使う<わたし>のように唯一無二(単独)であることを強調するものではありません(内省は必ずこの単独的<わたし>にたどり着くはずですが)。
 また、ジェインズ自身が言っている通り、この<わたし>は「自己」とは異なります。「自己」とは対象として立てられる「わたし」であり、<わたし>の再帰的対象のことです。
 なお、ジュリアン・ジェインズを妄信するのでも、頭ごなしに否定するのでもなく、かつここに「何が書かれているのか」と真摯に向き合おうとすると、この<意識>とは何か、という議論にたびたび立ち返ることになるはずです。わたしも読み進めながら何度も前のページを開き直しました。つまり「<意識>を意識する」という状態へとわたしたちを仕向ける効果があるのですが、実はこれこそが本書の最大の効用のようにも感じます。

関連記事:
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