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2007年02月21日

『神々の沈黙』3 決定者、内言

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 本書後半では、いくつかの文明や詩・音楽といった文化、催眠などの現象に<二分心>の痕跡を読み取ろうという試みが為されます。これもまたいささか強引な還元で、記述自体に信憑性については疑問もあるのですが、<二分心>と現代との中間形態という意味では、むしろ<わたし>について思考を促す魅力があります。つまり、誰かが決めてくれるということと、<わたし>が決めるということ、そして言葉と思考の関係です。

 例えば、占いが取り上げられます。

 占いとは、言わば「失われた神々の声」を聞き取ろうとする営みです。「失われた神々の声」が実体としてあったかどうかは別として、広義の占いが「お伺いを立てる」対象、つまり決定を委ねるための用具であることは確かです。
 また「新しい状況」という要素です。
 わたしたちは、新しい状況に出会うと、これに対しどう対処するか決定しなければなりません。本書によれば、古代それは「声」が担ってくれていて、現代では<わたし>が決めることになっています。もちろん<わたし>は周囲の意見や参考になり得る知識などを基にして判断するわけですが、決定自体は<わたし>が行います。これは大変なストレスであって、さらに理不尽でもあります。なぜなら、<わたし>は望んで<ここ>に来たわけではないからです。<ここ>というのは、「新しい状況」でもあり、「この世に生きている」ということ自体でもあります。
 このストレスを少しでも緩和するために、人はしばしば占いや類似の用具に頼ります。反オカルトな人たちが聞いたらお怒りになるかもしれませんが、「科学的」根拠をあげて判断を補強することも、「決定子」を<わたし>からズラすという意味では同じ働きをしています。
 これは「決定者」として<わたし>が呼び出されていながら、呼び出しの決定自体には<わたし>が参与していない、という絶対的矛盾をうまくはぐらかす方便と言えます。この辺りのことは「追い抜いちゃった人たち、愛=暴力、資本」「決めてもらうこと、決めること、知っていると想定される主体」にも書きましたが、責任というのは取って取りきれるものでもないのに、一方的に背負わされる性質のものです。それでもなんとか「責任者」の格好が付けられるのは、わたしたちが<わたし>と「新しい状況」(=計り知れない世界そのもの)との間をつなぐ「知っている者」を漠然と想定しているからです。
 一方でこの仲裁する審級がうまく機能してくれない状況というのも考えられて、そこでは<わたし>が未知の世界と直接対決しなければなりません。おそらく統合失調症の世界というのはそういうものなのではないかと思いますが、このわけのわからなさに何とか折り合いをつけるために、エイリアンやCIAが活躍してくれるのです。
 エイリアンやCIAは恐ろしいものですが、もし<わたし>がまるで期待されていないとすれば、彼らが何もかも勝手にやってくれるわけで、逆に好都合でもあります(しかしそれは誰にとって?)。この想定はかなり無理があって、イメージすることも難しいのですが、ジェインズが<二分心>で言おうとしているのは、そのような世界のようにも思われます。

 強いて理解の糸口になりそうなものを探すと、「内言」があります。
 「内言」とは声に出すことなく心の中で考えるときの言葉で、一般的には思考のために使われる、と言われています。
 しかし明らかにここには少し嘘があります。わたしたちは内言なしでも思考できますし、それどころか多くの有益な思考は内言を伴うようなまどろっこしいプロセスを経ないで行われます。内言がブツブツうるさい時、大抵考えはうまくまとまらず、スマートな決定もできません。だから古来宗教者や武道家は「考えない」ことを目指したのでしょう。
 内言が心地よく機能するとき、それは読書している時です。
 それはわたしの言葉であってわたしの言葉ではありません。内言は「わたしの中に言葉が入ってくる」ものとしての機能が第一にあったのではないでしょうか。
 「神々」と読書が似ていることは前述の通りですが、このとき内に響く声が心地よいのは、それが動かし難い何かとして既に決定されているからです。「判断する時間」という論理的プロセスがストンと抜けて、そのまま結果へと突き抜けているのです。
 動物が判断に迷っている、という姿はあまり見ることがありませんが、「迷わない人間」というあり方が存在し、かつ彼・彼女が言葉を使うものであるとすれば、この人びとの中では常に詩を詠むような内言が響いている、と考えれば理解の助けにはなるかもしれません。
 また、そもそも言葉は外からやってくるものです。内言は言わば外に出す言葉の「アナログ」ですが、そもそもは「やってくるもの」のアナログとしてわたしたちの中に生まれたのかもしれません。
 わたしたちは言葉を「使って」思考する、というモデルにあまりにも馴染んでしまっていますが、思考自体は必ずしもプログラムような言葉の連なりによって成立しているわけではありません。言葉が思考と最も馴染むのは、言葉が単に思考の結果を報告してくれる時です。つまり「神々」や読書における内言です。
 <わたし>とは呼びかけに振り向くものであり、思考の出発点ではありません。むしろ思考されたものを振り返る点、それが<わたし>です。


 歴史のある段階、しかもかなりの期間、言語は使用するが<わたし>は存在しない、もしくは<わたし>が現代よりはるかに弱い機能しか持たない、そういった時代があったということはあり得る話でしょう。信号的な「合図」をベースに象徴言語が生まれてから、内省意識が重要な役割を果たすまでに構造化されるには長い時間がかかったはずだからです。
 この時代の言語がわたしたちの言語とかなり異なる用いられ方をし、違う「心」の構造があったことも間違いないでしょう。
 その時、「声」が<わたし>の声ではなく<他者>の声として響いていた、というところまではありそうな話です。
 言語は個の歴史の中でも何よりも<他者>の声です。わたしたちは、もの言わぬ乳児に飽くことなく語りかける大人たちの会話の中で、語られるものとして言語経済に参入します。
 さらにこの言語の体制が、現代で言うところの統合失調症の状態に類似している、ということも見当外れではありません。象徴的去勢を経ることなく、なお言語の海の中を泳ぐ、という意味では似た状態です。ただ<わたし>の流通するディスクールの中にはない以上、生物学的に類似した状態であっても病像は大きく異なり、言わば合図を駆使する動物とわたしたちの中間のように、「声」の導きのままに動き不自由もない、という体制を取れたのかもしれません。
 ただし、ここから先になると本書には疑問も多々あります。
 本書には古代諸文化に<二分心>の痕跡を見出そうとする様々な考証がありますが(記述としてはこれらが大勢を占める)、ただでさえも現代とは大きくことなる言語的コンテクストの中で記されたものから、これを例証するのは極めて困難です。「ものは言いよう」なパラノイア的還元主義に陥り、「聖書は史実だった!」のようなオカルトとも紙一重です。
 わたしたちは<わたし>として語りだした瞬間から、それ以前を致命的に喪失します。それらは「かつてあり、今はない」というより、元からないものとして、そのとき世界が誕生するのです。
 ですから、<わたし>が世界の欠くべからざる要素としてあるこの世界の中から、外について語るということは、どこまで行っても釈迦の掌です。
 これは、「個の成長の歴史の中での経験を、歴史に投影しているのではないか」という批判ではありません。そのような批判も可能でしょうが、個の成長における<わたし>以前もまた、<わたし>以前の歴史同様、外部であることには変わりないからです。
 異星人による拉致体験を、幼少時の性暴力被害に還元してこと足れりとしているような記述が見受けられることがありますが、いずれも「この」世界の外部にあるという点では同等です。もちろん、性暴力は性暴力として法的問題も含めて切り出す必要はありますが、彼・彼女らの語らいをナイーヴな還元で「問題解決」できるかというと、そうではないでしょう。むしろ「異星人による拉致」として何とか語りだすことによって、この人びとはかろうじて身を守っているかもしれないのですから。
 そうした意味で、古代文明好きが古代文明を切り口に<わたし>と「声」について思考する、という意味では面白いでしょうし、また話が具体的であれば取っ付き易いことも事実です。
 しかし、いずれにせよそこが語りえぬ領域であり、<わたし>が必須となった世界における写し以外は手に入れることができない、ということを忘れては、ただのオカルトに堕してしまうでしょう。
 本書全般を通じ、「写し」を歴史に投影しているだけのような印象は否めないのですが、逆に物語化としてはキャッチーで、心地よく連想を刺激してくれる「秀作」です。
 また、わたし個人は古代文明ロマンにそれほど興味がないのですが、そのような関心をお持ちの方であれば、別の楽しみ方もできるでしょう。


『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』 ジュリアン・ジェインズ Julian Jaynes 柴田裕之『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』 ジュリアン・ジェインズ

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