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2007年02月05日

『性倒錯の構造―フロイト/ラカンの分析理論』 藤田博史

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『性倒錯の構造―フロイト/ラカンの分析理論』 藤田博史『性倒錯の構造―フロイト/ラカンの分析理論』 藤田博史

 なぜ最近までこの本を読んでいなかったのか、少し不思議です。でももうちょっと考えると別に不思議じゃないです。
 って、いきなり意味不明な出だしですいません。

 不思議というのは、自分の読書遍歴を考えると、どう考えても大昔に読んでいて当然の書籍だからです。
 わたしがラカンに初めて触れた頃、手っ取り早い入門書として、この藤田博史さんの『精神病の構造―シニフィアンの精神病理学』とジョエル・ドールの『ラカン読解入門』がよく取り上げられていました。今思うとすごいセレクションです(笑)。
 『ラカン読解入門』は割と素直な入門書で、前半は非常にわかりやすいのですが、後半に入ってからさっぱりわけがわからなくなった記憶があります。
 『精神病の構造―シニフィアンの精神病理学』は濃い本です。
 日本人の手によるものだけあって、読みやすいことは間違いないです。良くも悪くも、著者が消化した後再構成したラカンが語られています。わかりやすい一方、バイアスがかかっている危険性もあるわけですが、解説書というのはそういうものですから、概ね「良い」入門書ということでしょう。
 そうした「良い」入門書を既に読んでいて、その続編のような『性倒錯の構造―フロイト/ラカンの分析理論』がとっくの昔に出版されていたのに、なぜ手に取ろうとしなかったのか(わたしは気に入った著者はヴァーティカルに攻めるタイプなので、普通なら必ず読んでいるパターン)。
 これはもう、露骨に防衛が働いていたことがアリアリなのですが、逆にそれが露骨すぎるので、そもそもこの防衛という連想自体が別の決定的な何かのカモフラージュではないかと思います。
 だから読んでいなかったのは不思議でもあり不思議でなくもあるのですが、あんまり込み入ったことは個人的すぎて無意味だし、一方淡々と解説する元気もないので、書評と言えるようなものは書けません。

 今時「性倒錯」ですからね。しかも「病理」ですからね。
 おそらく藤田先生ご自身は、そういう声を予期しつつ、ラカニアンとしての忸怩を保ったのでしょう。そして確かに、真にラカニアンであるなら、この語りで正解だと思います。
 大学一年生男子なら、迷わず読んで良いです。きっとピッタリくることでしょう。
 大学一年生女子には色々忠告しておきたいです。
 ここに書いてあること、ひいてはラカンには、傾聴に値するものがあります。それは確かに値打ちのあるものです。
 値打ちがありすぎるのが危険なところです。
 まず、彼の話を聞きすぎないこと。それから、最後まで聞くこと。
 そのためには、「話半分」で聞き流す技術を身につけている必要があります。これがなかなか難しい。あんまり「半分」すぎると、こんなパラノイア的で小難しい本など読んでいられなくなるからです。
 一方で「全部」も危険です。一つには真に受けすぎるとベタすぎてついていけない(マッチョすぎて引いてしまう)、という可能性がありますが、この場合、ダメージといっても「面白い本を読み損ねる」程度です。
 一番危ないのは、高い障壁を乗り越えて接近してしまったが故に、離れることができなくなることです。パラノイアに取り込まれるヒステリーの図です。
 これが意図された転移の操作なら良いのですが、勝手に一人で惚れただけなので、もう手綱を取る人がいません。自分で自分の首を絞めるような価値観の内側からしかモノを考えられなくなり、文字通り物理的損壊を被るような激烈なアクティング・アウトに出てしまわないとも限りません。
 だから「話半分」が大切です。「胸毛の濃そうなオッサンが何か言ってるな」くらいで丁度です(ごめんなさい)。ちなみに、B型の人と付き合うコツも同じだと思います。

 わたしがかつてラカンにヤラれた理由、危ういところで距離を置いた理由、最近劇的にお気楽な気分で「らかん」などと口にできるようになった理由、すべて「話半分」の習得に紐づいています。
 端的に言えば色々遍歴を重ねて、こういうお話も「話半分」で聞き流し、なおかつ半分くらいは聞いていることができるようになった、ということでしょう。要するにちょっとあり得ないレベルで世間知らずだった、ということです(笑)。

 「話全部」タイプでヤラれちゃいそうなヒト、引いちゃいそうなヒトには、先日触れた『ラカンとポストフェミニズム』のようなフェミの文脈からのものが優しいです。わたしも安心して読めるラカンはフェミとからめたテクストです(このタイプでわたしが最も感動したのはジェーン・ギャロップの『ラカンを読む』です)。
 でも、やっぱりラカンの真骨頂はマッチョ。
 そのマッチョぶりをさらに胸毛二倍(当社比)にしたのが藤田先生です。ものすごいヤロウ臭いです。
 この辺りを全部織り込み済みで、エイヤ!という気合で読まれるなら、得るところ大でしょう。『ラカンとポストフェミニズム』でネタにした性別化の公式についても平明に解説してくれています。

 とはいえ、しんどかったですけどね。
 当分この手のものは読まないでしょう。
 ええ、根性ないですから。余生は静かに暮らしたいですから。

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