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2007年02月11日

『天才と分裂病の進化論』 脂肪酸と統合失調症

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 前回に続いて『天才と分裂病の進化論』です。
 本書の三本柱は「脂肪酸」「進化」「統合失調症」なのですが、前半は「進化と脂肪酸」が中心、後半で「統合失調症と脂肪酸」そして「進化と統合失調症」の関連が語られます。
 非常にざっくりまとめてしまうと、

①統合失調症の有病率は人種を問わずほぼ同じ割合。つまり、人類分化の極めて初期に表れた病気と思われる
②統合失調症の原因となる遺伝子は一つではなく、いくつかの組み合わせである。この組み合わせに環境因子が加わることで、いわゆる「統合失調症」としての症状が現れる(統合失調症には遺伝的因子が強く働いていますが、一方で一卵性双生児の片方が統合失調症でも兄弟が同じ病気でる確率は50%程度とのこと)
③統合失調症の原因遺伝子は三つか四つ程度と思われ、これらを部分的に持っている人間はむしろ創造的能力が高いようだ。また一つや二つ持っている程度の人口は、統合失調症の有病率を考えると相当な数にのぼる
④統合失調症をもたらした「分裂病ゲノム」こそ人類に知的躍進をもたらした創造的遺伝子ではないか
⑤統合失調症は昔からあり、民族も問わないが、その病像は大きく異なる。この理由に社会環境が挙げられることが多いが、実は食生活が鍵になっているのではないか
⑥近代都市における統合失調症の悪化は、脂肪酸バランスの乱れが一因となっているのではないか

 というものです。

 まず初めに触れておきたいのですが、1%前後という統合失調症の有病率は、様々な疾患の中でかなり高いものです。学校の3クラスに一人くらいはいる計算です。大昔に精神医療関連の概論を初めて受講した時、このことを指摘されてハッとしたのを覚えています。そしてこの有病率が人種を問わず世界中でほぼ等しい、というのは驚くべきことです。
 また、統合失調症の家系に天才や社会的に大きな業績を残した人が多い、というのはよく知られています。本書では家系記録の良好な保存・人口の長期的隔離という格好の条件を備えたアイスランドの家系研究を事例として挙げ、これが単なる俗信ではないことを強調しています。統合失調症親和型の人格は「変わり者」で協調性に欠けるが、独創的で変化を好み、時に社会に革新をもたらす力を持つのです。
 ここで本書は非常に興味深い統合失調症患者の特徴を指摘します。痛みに異様に強いこと、滅多に関節炎にかからないこと、そして感染症などによる発熱で一時的に症状が寛解することがあることです。
 筆者がこの関連に気付いたのは、あるコレステロール値の高かったある統合失調症患者にナイアシンを処方した時のことです。ナイアシンは副作用としてひどい紅潮をもたらしますが、この患者にはそれがなかった。人体は炎症反応によって傷害に対抗しますが、これはリン脂質からのアラキドン酸(前回のエントリで触れたリノール酸から合成される高度不飽和脂肪酸)の遊離、そしてアラキドン酸のプロスタグランジンへの変換によって引き起こされます。統合失調症患者ではこのメカニズムがうまく働いておらず、そのため炎症反応や痛みが起こりにくいのでは、と筆者は考えたのです。
 そして発熱はアラキドン酸を遊離させるもっとも強力な刺激です。統合失調症患者で通常時の低容量アラキドン酸遊離がうまくいっておらず、発熱して初めて正常な分泌に至る、と考えれば辻褄が合う、というわけです。
 本書では脂肪酸に注目した統合失調症治療の臨床試験の概要が描かれており、試行錯誤の末、エイコサペンタエン酸が特に良好な結果を示したことが記されています。
 もちろん「イワシを食べたら統合失調症が治る」というほど能天気なものではありませんが、少なくとも本書で示されているその効果は素晴らしいものです。
 現在統合失調症の治療に用いられている薬は、実はそれほど効果的なものではありません。症状を一時的に抑える程度で、それもすべての人に効果があるわけではなく(20%程度!)、さらにひどい副作用が伴います。いわゆるメジャートランキライザーというヤツですが、わたしはなぜか服用したことがあります(笑)。別に統合失調症ではないのですが、確かにかなりバッドな副作用があります。
 これを考えると、たとえ「ダメモト」でもエイコサペンタエン酸を使ってみることは値打ちがあるように思います。エイコサペンタエン酸は現在では廉価なサプリメントでも手に入りますし、大量に投与したからといって重篤な副作用が出るとは考えにくいです。統合失調症の患者さんを家族に抱える方は、試すだけ試してみても良いように思います(もちろん、できれば適切なガイドラインに則るべきですが)。

 人類の進化に脂肪酸が大きな役割を果たした。統合失調症のメカニズムでも脂肪酸が鍵になっている可能性がある。統合失調症をもたらす遺伝子には創造的革新をもたらす力がある。
 これらすべてが真だと仮定しても、なお「分裂病ゲノム」こそが人類誕生の秘密だった、というのは飛躍でしょう。本書で一番欠けているのは、両者をつなぎ合わせる環のように思います。
 ですが、これを差し引いても相当に魅力的な論であることは間違いないですし、そもそもぼんやり読んでいるとこのミッシングリンクを感じさせないほど両者には何か「関係のある」匂いが漂っています。正確には「関係がある」と思わせる気迫のようなものが伝わってきます。
 もしかすると単に筆者の思い込みの強さゆえに生じたオーラなのかもしれませんが、一方で不正確でも強い「思い込み」が研究の突破口になる、という現象は珍しいものではありません。そして正にこのような「カテゴリーを飛び越えた意味の結合」こそ「分裂病的」創造性そのものです。
 人類が他の生き物から大きく異なる点があるとすれば、それは変化のスピードでしょう。他の生物が(進化論のモデルが正しいとすれば)突然変異と環境からの淘汰圧、というゆっくりとしたメカニズムに頼っているのに対し、人類は種を変化させることなく、場合によっては数世代のうちに驚くべき変化と多様性を作り出しています。他の生物があまりにも環境にベッタリと一体化しているのに対し、人間の営みは時に「不自然」なまでに環境から遊離しています。もちろん、闇雲に従来のスタイルを破るだけでは安定した種の保存がかなうわけもありませんから、大多数の「保守」と一部の「革新」、そしてさらにその一握りが時に新たな潮流を作り出す、ということが繰り返されてきたはずです。
 仮に「分裂病ゲノム」が、この「革新」の幅を作り出してきたとすれば、それは確かに、種を維持したままで変化の速度を圧倒的に加速することに一役買ってきたことになります。
 以前、テレビでアイルランドの孤島での暮らしを見たことがあります。そこでは作物といったらジャガイモしか作れないのですが、そのジャガイモを作るのにも大変な苦労がかかります。というのも、その孤島は年中強い風が吹いているため、畑どころか土の部分がほとんどないのです。そのため、石を積み上げて砂を堆積さえるところから農業を始めなければなりません。
 その映像を見たとき、「一体どういう事情でこんな場所に住もうと思った人間がいたのか」と、本当に不思議な気持ちになりました。もちろん、他の土地で迫害されてやむにやまれず、といった事情があったのかもしれませんし、もしかすると昔はもうちょっと住みやすかったのかもしれません(笑)。ですが、こういう「新たな環境」を目指したり、住みなれた土地を離れ大洋の向こうに旅立ったり、といった営みは、普通に考えると「狂気」とも言いたくなるものがあります。
 これらのすべてに独創や「声」の導きのようなものがあった、とは考えにくいですし、単なる偶然や事故の結果、住みたくもない土地で生きるよりほかになくなった、とういことも多々あったでしょう。しかしそのような偶発性だけなら、クマもウサギにも等しく起こるわけですから、やはり自ら「変人」を作り出しパラノイア的執着で安定した暮らしを捨てる何かがあった、という考えにも一理あるように思います。

 もう一点、人類が水辺で生まれた、という着想にも惹かれます。
 人類の起源というと、やたら東アフリカのサバンナが取り上げられるのですが、素人考えからすると、どう考えても人間に住みやすい環境とは考えられません。食料はともかく、水がなければ人は幾日も生きられないのですから。
 また、本書では「狩りをするために脳が発達した、というが、サバンナでの狩りは車とライフルがあっても簡単ではない」と指摘しています。狩猟・採集から人類がスタートしたにせよ、そのほとんどは水辺で魚や虫を捕ったり、といったささやかなものだったはずです。毎日毎日クマと格闘したりシカを射止めたりしていたら、命がいくつあっても足りません。
 だからといって、人間は水棲哺乳類ではないですし、水辺で生き水に親しむにせよ、水の中で生きていけるわけではありません。この「境界で生きる」という形式は、わたしたちの精神構造に深く刻まれているように感じます。
 わたしたちの主体とは「<それ>ではない」ものとして、モノから身を引き離すこと(象徴化)そのものですが、水というのっぺりと広がりつながった実体、あまりにも複雑でまとまりのない陸地の風景、命をつないでくれる水は必要でも陸に帰られなければならない、という舞台構成には、その萌芽が見られます。まぁ、この辺の話にあんまり本気になると、ユングくさくてイヤなのですが・・・。

 とにかく読み物としてだけでも一級ですから、精神医療・脂肪酸・脳・進化、どれか一つが関心アンテナにひっかかっているだけでも一読の値打ちはあります。
 また個人的に、自分自身の経験と呼応する部分が多々あり、震えが来るような思いがしました。
 本当はもう一つ重大なことを指摘してみたいのですが、あまりにも極私的核心に触れてしまうことになるので、自分可愛さに口をつぐんでおきます(笑)。


『天才と分裂病の進化論』 デイヴィッドホロビン DavidHorrobin 金沢泰子『天才と分裂病の進化論』 デイヴィッド・ホロビン

EPA

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追記:
『天才と分裂病の進化論』の翻訳者は金沢泰子さんという方ですが、金沢泰子のお名前で検索すると個人的に心惹かれる本が並んでいました。変則ヴァーティカルに攻めてみるかもしれません。

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