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2007年04月14日

リズムと物語、イスラームとアスペルガー

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 友人が送ってくれたディスクに感想のお便りを書いていたら、横道にズレまくって結構面白いものができてしまったので、転載してみます。いつもと口調が違いますがご容赦を。

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AOKI takamasa / see that girl

 無料ダウンロードの弾にするだけあって、入りやすい。キャッチーだしサビがある感じなので一般受けするだろうね。
 当然計算づくで、作家的にはPARABOLICAみたいにリズムで引っ張っていく楽曲の方が本命なんじゃないか、って気がする。
 そして聞き込んでいくと、大抵そっちの方が良くなっていく。

 こういう現象はわりと一般的だと思うのだけれど、考えてみるとなかなか面白い。
 メロディというのはテクストで言えば「意味-散文」的なポジションで、普通の人間はまずそういうところから入る。「無意味」なテクストやメロディのない楽曲はとても敷居が高い。ただ、意味や内容は時間の内部にあるもので、時間と共にやがて消費されてしまう。
 一方、反復され意味が失われた後になお繰り返されるものは、時間の外にある。つまりリズム。
 リズムという極めて「時間的」な要素が「時間の外にある」というのは一見逆説的だけれど、時間という枠組み自体を示しているために、時間の中を「流れない」。物語は時間の中を流れるけれど、リズムは時間自体のため、流れず外部にある。
 視覚で言えば「形」。
 時間の外に出てしまったものは、時間的に消費されない。永劫回帰というか、反復強迫というか。

 逆に言えば、時間概念の獲得は物語的状況把握の習得と同時的だ。
 時間と言うと、タイムラインが過去・現在・未来を貫いているモデルに洗脳されきっているけれど、こうした「時間」は一番最後に出現したものだと考えて良い(もちろん、タイムライン・モデルが近代的活動において非常に有効であることは間違いない)。
 タイムラインを使えば物語もリズムも表現はできる。しかしそこに物語やリズムを回収するのは後出しジャンケンだろう。
 むしろ言語活動、わかりやすく言えば自然言語における「過去形」を考えてみれば良い。過去はいつから過去なのか。時制上の「現在」が幅を持ったものであることを否定する人はいないが、一体どれくらいの時間が流れたら「過去」なのか。
 言語によっても「現在の幅」は異なるし、過去形類似の様々な時制がある言語もある。時制が緩い言語もある。また同じ英語でも、文化によって時制の使い方はだいぶ違う。インド人は現在進行形を異常に多用する。わたしの経験では、タイ人も時制意識が薄い気がする。
 実際に自分が自然言語を使う場面を想起すれば、すぐわかる。過去はタイムラインの左の方にあるのではなく、端的に過去形で語ったとき、それは過去なのだ。
 わたしたちは、物語的理解の中で、「過去を振り返る」ことはできるが、リズムの「過去を振り返る」ことはできない。

 ちなみにイスラームの人々は詩の朗読が大好きで、詩ではない一般の演説や講義についても、内容というよりは言葉そのものにわたしたちより強い関心を示す。
 ある日本人イスラーム研究者が当地の新聞に寄稿したところ、友人がその内容について、「このフレーズがいい」みたいにディテールを暗誦して評価してくれた、と言う。わたしたちの文化では、アブストラクトな側面から入るところだけれど、「言葉尻」に執着するらしい。つまり物語やメロディよりリズムを(わたしたちよりは)重視する、ということ。
 アラビア語の時制についての知識をまったく持ち合わせていないのだけれど、何か関係があるのかもしれない。
 イスラームは世界宗教だけれど、コーランの執筆言語であるアラビア語を相当重んじている。聖書が極めて広い言語に翻訳され、かつ翻訳された聖書を読むことに人々が違和感を抱いていないのとは対象的だ。また、カトリックは外国語教育を非常に重視している。
 このことはイスラームとリズムの関係について、二つのことを示唆している。一つはアラビア語の言語構造が「リズム志向」に関係している可能性。もう一つは逆に、そもそも「リズム志向」、つまり意味-物語系の相対的軽視ゆえに、翻訳を軽んじている、という可能性(「原典」への強い執着)。

 またこうした「具体的フレーズへの執着」は、自閉症・アスペルガー症候群の人々を想起させる。彼らの「障害」が象徴化に関するところにあると思うと、納得できる。
 別にイスラームが「自閉症的」だというわけではないけれど、そういう文化が人類の一大勢力になっているということを思えば、アブストラクトから入るバイアスが少し解除される気がする。
 象徴的なやり方も悪くないけれど、象徴的でないやり方がもっと評価されるべきだ。西洋人も西洋人だけれど、うっかりその上澄みだけ輸入してしまった日本やシンガポールのような国が一番悲惨だと思う。

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