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2007年04月20日

『世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて』 柄谷行人

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『世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて』 柄谷行人『世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて』 柄谷行人

 発売直後に購入して一読していたのですが、いざ何か書こうとするとまとまらない。部分部分はわかりやすいのに、全体として何を言っているかをまとめようとすると難しい。
 柄谷行人さんの本によくあることで、これも一重に氏の語りの上手さによるものでしょう。学生の頃むさぼるように読んで、ここのところこの世界とはご無沙汰だったのですが、久しぶりに読んでみても同じ印象。とにかく面白いし、わかったような気になるのでサクサク進んでしまうのですが、うっかりしていると右から左に抜けてしまいます。
 重要な本であることは間違いないので、もう一度読み直して以下に無理矢理まとめておきます。誤読もあると思いますがご容赦を。

 三つの交換様式を考える
 マルクスの言う「生産様式」とは、生産が一定の交換や分配の形態でなされることを示す。ゆえに「交換様式」という方が、交換を二次的なものと捉えてしまう誤謬を避けられる。
 交換様式は、大きく以下の三つと、もう一つの交換様式X(現実に存在するのではなく、理念として想定される)に整理できる。

互酬的:贈与と返礼。共同体内的交換。
再分配:共同体間で発生する略取と再分配。
商品交換:共同体間で発生する交換。貨幣と商品の交換であり、対等ではない。

 互酬的交換が中心となるのが氏族的社会構成体であり、国家は略取-再分配を固有の原理とし、資本主義は商品交換によって成り立つ。国家が共同体の内部から発生したと考えるのは錯覚であり、共同体と共同体の間に発生するものである。資本主義社会において、農村共同体は解体されるが、互酬的交換はネーションという想像の共同体により回復される。
 歴史的に中央集権的帝国が西アジアと東アジアで成立し、その亜周辺では封建制が発達した。そのような亜周辺である西ヨーロッパでは、都市が自立し商業が発達した。都市ブルジョアジーと王が結託することにより、封建制が崩壊し常備軍と官僚制度を備える絶対主義国家が生まれた。このときはじめて、商品交換=貨幣経済の原理が国家によって承認された。つまり略取-再分配と商品交換という異なる交換様式が接合された。
 一方、普遍宗教は都市空間に出現したが、共同体と国家を否定し、第四の交換様式を開示する。それは市場経済の中で互酬的共同体を回復しようとする営みであったが、現実的拡大に伴い国家と共同体に回収されていく。近代社会主義は、ここで開示されたものを宗教を越えて実現しようとするものである。
 十五・六世紀、世界帝国=経済圏が結合され「世界経済」が出現した。これは近代国家や資本主義が一国単位では考えられないことを意味する。第一に主権国家とは他の国家の承認によってのみ存在し、主権国家でないならば支配して良い、ということを含意する。そのため、近代国家に対抗するためには自らを主権国家として組織する必要に迫られる。第二に資本主義市場経済も一国だけでは考えられず、その外部を持たない。
 マルクス主義者は国家をブルジョアジーが支配するための手段とみなし、階級対立が解消すれば国家は解消されると考えた。また革命は旧来の国家機構を打ち砕くと考えた。しかし革命は外部からの干渉を招くため、革命の防衛のために軍・官僚機構に頼る他ない。国家は国家との関係において成立するため、内部から解体することはできない。
 またマルクス主義者は、産業資本が労働力以外に売るものを持たないプロレタリアを搾取する、という点を強調するが、それでは奴隷制との差異が示せない。労働者は生産すると同時に産業資本の生産物を消費する。剰余価値とは、労働者=消費者が自らの生産物を買い戻す際に発生する。
 産業資本は、本当は商品にならない(資本が自ら作り出せない)労働力と土地というものを商品にした。人間が労働力商品となることで互酬的関係が破壊され、自然が商品化することで致命的に破壊された。これに労働者として対抗しようとした試みの多くが挫折したが、消費者としてであればいくばくかの抵抗を示せる。
 一方、ネーション=ステート(国民国家)は、封建制社会に貨幣経済が浸透し、王とブルジョアが結託することにより生まれた。それは領主-農奴の関係を地主-小作人の関係に転換し、地代を貨幣による租税へと転換することである。人民とは、このとき絶対君主の臣下subjectとして誕生したものである。
 その後市民革命により絶対主権者が打倒され、ネーションが成立した。それは宗教に代わり個々人の存在に意味を与えた(個人主義的宗教=プロテスタンティズムの拡大と並行的)。それは農村共同体にあった永続性・互酬的関係を想像的に回復する。ネーションにおいて、現実の資本主義経済がもたらす格差、自由と平等の欠如が想像的に補填・解消される。ネーション=ステートとは、資本=ネーション=国家であり、市民社会=市場経済と国家がネーションによって結ばれたものである。しかしこのネーションは想像物でしかなく、揚棄される契機を備えている。
 一方でアソシエーショニズムは、商品交換の原理が存在する都市的空間で、国家や共同体の拘束を退けると共に、共同体にあった互酬性を高次元で取り返そうとする運動である。それは自由の互酬性(相互性)を実現することだ。しかしそれは「下からの」革命によっては実現できない。なぜなら国家は国家に対してこそ国家だからだ。国家を超えるには、国家を「上から」抑え込む漸進的「世界同時革命」が必要である。
 資本=ネーション=国家は帝国主義という極限の形を取るに至るが、それは「帝国」(広域国家)とは異なる。帝国は共同体の上に君臨したが、その支配関係以外については無関心であった。ネーション=ステートは、すべての者を臣下subjectとするところで成立した以上、帝国の原理とは相反する。これに対抗するため、新たな広域国家を形成しようとする動きもあるが、それも世界経済の中での広域国家にすぎない。
 また、諸国家をマルチチュードの自己疎外とし、それはマルチチュードの自己統治により揚棄されるだろう、という論理はアナキズムであり、国家の自立性を無視している。これもまた国家の強化に帰結する危険がある。
 国家を超えるには、国家がその主権を漸次的に譲渡し、「世界共和国」を強化していくことによって歩む必要がある。


 大分頭がスッキリしました。
 最後のところは、こうしてまとめだけ読むとイージーすぎるように見えるかもしれませんが、それなりの布石の上で希望が語られています。本当は「国際連合」とあるのですが、前フリがないとズッコケてしまいそうなので「世界共和国」としておきます。
 少なくとも部分部分は滞りなく読める本なので、是非手に取ってみてください。

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