さておかれない冗談、外山恒一
統一地方選後半戦も選挙期間が終了したところで、外山恒一さんさんについてメモします。
彼の政見放送が話題になっているのは知っていたのですが、そういう「ネットで話題の」一般が煩わしく、敢えて距離を置いていました。そもそも都知事選自体、出来の悪い芝居を見せられているようで、とても積極的な関心を持つことができないでいました。
政見放送を拝見したのは都知事選投票日直前になってからで、ちょっと後悔しました。今回ばかりは「話題」に乗っていた方が正解でした。
一見パラノイア風ですが、最後の「わたしもビビる」からもわかる通り、機知に富んだ人物です。パラノイアにああいう台詞は操れません。
ではまったくの「ネタ」としてやっているのかというと、そうではない。むしろ本気の本気だからこそ、機知を発揮する。
この態度は美しい。
冗談はしばしば「冗談はさておいて」、その後「本当」が始まるものですが、「さておかれ」た後にリアルがあるなどという思想が実に生ぬるいです。国が敗れても山河が待ってくれているような中学男子っぽさに寒気がします。
冗談はさておかれないものです。
少なくとも、冗談を本当に聞いている人(もちろん神様)は、決して「さておき」などと甘いことを言ってくれません。
ラカンくさく言えば、わたしたちは真理以外口にできないのであり、想像的-散文的文脈に回収される「本当」の外部、周縁にこそ、かろうじてリアルの残滓があります。
かつてわたしは、こうした「さておかれない冗談」を示してjoking asideならぬjoking inというダジャレを使ったことがあります。asideによけられたものは、皆が中心に集まる中、決して消えることなく周縁で自生していきます。そこから視線をそらさず、冗談とも本気ともつかぬまま突き抜けてしまうのがjoking inです。
なぜここにリアリティがあるかと言えば、その場所が既に人間の領域ではないからです。モノに身を預けてしまう、人間の世界にエネルギーを注ぎ込んでいる箱庭の外部にそのまま身を置いてしまう、それが「さておかれない冗談」です。
外山さんに話を戻すと、彼にはどこか、この「さておかれない冗談」の匂いがします。
ゴリゴリの党派的人物でも、まったくのネタでも心動かされないのですが、明らかにどちらとも違う。
その後外山さんに直接取材したエントリなどにいくつか読みましたが、おおよそ思っていた通りのスタンスで選挙に望んでいたようです。
彼のサイトのテクストも戯曲を除いて一通り目を通しましたが、共感できる部分がかなりあります。鼻につくところも多々あり、洗練されているとは思いませんが、「本気」と「ユルさ」がブレンド加減が程よいです。何より、ちょっとあり得ないほど率直です。もしわたしが彼の立場だったら、とても恥ずかしくて書けないようなことも素直に記していて、しかも「照れている」ことも隠そうとしません。
多分、育ってきたバックグラウンドに相当かぶっているものがあるのでしょう。それだけに近親憎悪的な痛さも感じるのですが、少なくともわたしにとっては「話ができる」人物の予感がします。背景色と行間をなんとかしてくれば、言うことなしなのですが・・。
個人的にお勧めなのはまったく新しい左右対立。キャッチーです。これでも狭すぎる行間のせいで読むのが億劫な人もいるでしょうから、誤解を恐れずものすごいざっくり言ってしまうと、

この図式で考えると、かつては縦の軸が太く、体制側と左派が対立していたが、冷戦崩壊により横軸が太くなり、その結果Xに位置する勢力はアナキズムではなくファシズムと呼ばれるのがふさわしくなった、というような内容です。ざっくりしすぎですが、原文も非常に短いので是非直接あたってみてください(ここで展開されている思想自体について、すべて是と考えているわけではありませんが、思考の触媒になるだけでも価値がある)。
ただ、外山さんはネット上での活動に重きを置いている人物ではありません。
そういうところも「正しい」と思うのですが、それだけにネットにおかれたテクストやら画像やらを見ているだけでは、何も言えたことにならない気がします。またわたし自身、「何はともあれ会ってから」と信じているので(気軽に会うという意味ではない)、できれば一度直接お話してみたいです。
外山さんご本人は「自分は書く人間」とおっしゃっていますが、直観としては「喋る」タイプなのではないでしょうか(こういう自己認識がズレていることはよくある)。「喋る」というのは「語る」とも違います。「語る」は演説ですが、「喋る」は語らう、「脇の下で話す」ようなスタンスで言葉を紡ぐことです。この勘が外れていたら元も子もありませんが、当たっているならまずは「脇の下」を寄せてみないと何もわかりません。
まったく、今回ばかりは2ch-はてな系の話題についていかないで失敗しました。熊本は遠いです。しかも正直、他に会いたい人も行きたい場所も全然ありません。土日に飛行機で会いに行ったら勇者の称号がもらえるかしら。というか、会ってもらえるのでしょうか。
余談ですが、外山さんはMacユーザーのようです。わたし自身はWinとMacのデュアルユーザーで(Macはほぼ音楽再生専用)、「Macな職場」にいたことも皆無(職場にWinユーザーでない人がいたらそれはLinuxユーザー)、少なくとも現在はMacintosh自体にもそれほど良いイメージを持っていません。でもなぜか友人のほとんどがMacユーザーです。もう、腹が立つくらいMacなヤツらに囲まれています。
そして外山さんのMacは現在故障中で、書院でサイトを構築しているようです。
・・・行間についても大目に見てあげましょう。
ファシズムについて考えるところは大いにあるのですが、ありすぎるので随時エントリを立てます。
最後に熊本刑務所前での市議選の第一声音声を貼っておきます。選挙戦終了したのでよろしいでしょう。
追記:
単に「シンパ」だとか「流行にヤラれすぎ」と思われるのも悔しいので、いくつか言い訳しておけば、わたしは彼の言説・言動の個々については必ずしも是と思っているわけではなく、また上にも書きましたが洗練されているとも思っていません。また彼が推奨?している人物・作品についても「どうかな」と思うところが多いです。
ただの「感想」を列挙しておけば、村上龍については、『五分後の世界』は素晴らしい。ただ、それ以外については今読もうという気持ちにはなりません。昔の作品はほぼ読んでいますが、いいかな、というのが『イン ザ・ミソスープ』、個人的に好きだったけれど人には薦めないものとして『だいじょうぶマイ・フレンド』、最初に読んだときは熱狂したけれど今ではその時の気分がさっぱりわからないのが『コインロッカー・ベイビーズ』でしょうか。基本的に甘えた感じのする人で、勢いに乗った時は力を発揮する方だと思いますが、「会ってみたい」とは全然思いません。「村上龍が好き」という男性は、自分のフィルターの中でしかものを見られていない傾向が強く、またそういう男性を愛おしく転がす女性も多いですが、個人的にはそういう文化全般がアホらしく感じます。
福田和也は嫌いです。デブだから。時々良いことも書いているのかもしれませんが(よく知らない)、追おうという気にはなりません。なぜなら、デブだから。とんかつ食ってるから。以上。
『ファイト・クラブ』は面白かったです。
『スターシップ・トゥルーパーズ』は、知人の中に絶賛している人がいて、どうやらある種の人びとを強烈に惹きつけるらしい、ということは知っているのですが、正直さっぱりわかりません。別に「好戦的でイヤ」というわけでもなく、特に何の感慨も抱いていません(あの映画は「好戦的」でも「反戦的」でもないと思いますけれど)。ハインラインの原作のパワードスーツが好きなので、それが出てこなくて残念だった、というくらい。
さっぱり合わないやん!とツッコまれそうですね。もし彼がアカデミズムを経由して同じことをやっていたりしたら、まったく興味も持たなかったでしょう。吠えている大学人ほど乳くさいものはありません。
でも彼は何もないでしょう。
もちろん「何もない」のが良いというわけではなく、むしろ困った人が多いです。「何もない」党派的人間というのがいて、大抵は小さなコミュニティの中でささやかな地位を得て頑張っていたりするのですが、そのせまーい世界の中でオルグだの何だの気勢を上げているのを何度も見ました。別に限られた人々のために限られた仕事をするのでも良いと思うのですが、狭いところでちょっとでも領土を広げようとしている様は実にみっともないです。しかも一旦敵に回すとシャレにならず怖い人が結構います。日々の生活に虚しさなんて感じちゃってる善良な市民の皆さんは、間違って係わり合いにならないよう気をつけてほしいです。
彼がその辺の怖い人とかアホな人とちょっとだけ違うなぁ、と感じるのは、ユーモアがあってちゃんと面白いことを言えること、都知事選であれだけやって「後は熊本に引っ込む」と言っているところでしょうか。「仲間を集める」ために出馬、といった行動についても、運動系でさんざん痛い目にあってなすべきこと、できることをわきまえた人間の匂いがします。
わきまえていないのに「わきまえたフリ」をする人間は鬱陶しいですが、わきまえているけれど野望を隠そうとしない、というスタンスはちょっと面白いです。
わきまえる前の運動系の人は最悪です。
追記2:
こちらのエントリの最後で一緒に外山さんと会いたい方を募集しています。結局イベント打ち上げ乱入でオチがついちゃうかもしれません。すべては外山さんの予定と気まぐれ次第でしょう。
追記3:
思い出しましたが、わたしは「だめ連」嫌いです。今どうしているんでしょうね。
中心になっていたお二人には直接お会いしたことがあるのですが、正直「本当にダメだなぁ」としか思いませんでした。そこを最初から「だめ」と言ってしまっているところがだめ連の頭一つ抜けていたところではありますが・・。
わたしがだめ連で受け付けないのは、純粋にだめでダラーンという感じなら良いのですが、だめと言いながら結構党派的なところです。悪い意味で運動系臭いです。神長さんからは特にそういう印象を受けました。それなりに頭の切れる人物なのですが、別に面白くない。
ペペさんは好印象でした。かわいらしい方です。思想的なことはよく知りませんが、むしろそんなものなくて、純粋にだめな方が好感が持てます。
カテゴリ:ファシズム, 世間・社会・歴史 <この記事を気に入って頂けたら、同カテゴリの過去ログを参照してみてください
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