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2007年05月01日

ファンタジーとファシズム

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 応用編の第一点として、ファンタジー・物語とファシズムについて考えます。基本編(独断)よりはほんのちょっとだけファシズムっぽくなります。
 前フリがやたら長いので、面倒な方はここらへんから始めて、気になったら前半に目を通してみてやってください。

 『ムッソリーニ―一イタリア人の物語』 のエントリでも書きましたが、ファシズムと物語は大きく関係しています。「二大要点」から一歩前進して、月並みに「イズムとしてのファシズム」を考えるなら、その属性の筆頭にこれを挙げる必要があります。
 物語性が核となる思想はファシズムだけではありませんが、ファシズムは物語を示すこと自体、キャッチーなファンタジーに人を巻き込むこと自体が大きな役割です。何せ「イズム」なき「イズム」ですから、語られる内容より、「語りとして成り立っていること」「語りが面白いこと」の相対的比重が高いのです。
 物語とは、始まりと終わりのあるものです。起承転結です。
 上のエントリでも書いたように、現実は物語ではありません(※1)。セルやフリーザを倒しても連載は終わりません。
 それでは物語性=「盛り上げ」を重んじるファシズムは、「外敵」や一体感、過剰な理想像で辛い現実から目を逸らし、人心を欺くだけのものなのでしょうか。
 歴史的ファシズムを見る限り、かなりの程度その通りです。ただしこのような「演出」だけなら、どんな権力でもやっていることです。
 重要なのは、「現実は物語ではない」と語る<わたし>、それは物語の中にいる、ということです。

 わたしたちは、この世界がストーリーでできているわけではないことを「知って」いますが、一方で生起する現象を意味付けなしに認識することができません。
 ちょっと極端な例を挙げます。テンプル・グランディンの『動物感覚』の中で、こんな実験が紹介されています。
 被験者にバスケットボールの試合で一チームがいくつパスを出したか数えるように指示して、試合のビデオを見せる。しばらくすると、ビデオの映像にゴリラの気ぐるみを着た女性が現れ、立ち止まってカメラに向かってこぶしで胸を叩く。こんな突拍子もない映像なのに、被験者の実に50%がゴリラに気付いていなかったのです。
 被験者たちは、映像をあくまで「バスケの試合」という枠組=物語の中でとらえています。その中にないものは「無いも同然」です。この話が取り上げられたのは、動物や自閉症の人は象徴化せずに細部を見る、という話題の中でですが、逆に言えば「普通の人」は起こる出来事をなんらかの象徴化=物語化抜きに見ることがなかなかできません。これは情報を圧縮し、自然環境の中で効率的な予測を立てるための進化の結果だと思うのですが、わたしたちの意識には、常に意味や価値判断に汚染された「現象」しか映らないのです(※3)。
 そして解釈の枠組みとは、人が一人で作り出したものではありません。それどころか、広義の解釈法について、わたしたちはほとんど自分で選ぶことができません。もちろん、例えば歴史解釈等を解体・再構築することは可能ですが、これは「解釈」の上澄みの上澄みの部分だからです。現象は<わたし>に届く時には既に解読され意味づけられています。
 <わたし>は、語らいの海の中で呼びかけに振り向くことで「ニンゲン」になります(※2)。わたしたちは皆「気付いたら<ここ>にいた」のですから、既に語らいの中に参加してしまっています。語らいは必ずしも狭義の「物語」ではありませんが、わたしたちは常に既に「何者か」として名指されているのです。
 ドラゴンボールは最果てなく続きますが、わたしたちはもう天下一武道会のリングに上がっています。この戦いに勝っても連載は多分終わらないのですが、打ち切りを決めるのは<わたし>ではないので、とにかく戦うしかないのです。
 「勝っても負けても一緒でしょ」というのはその通りなのですが、だからといってメタに上がれたわけではなく、天下一武道会の「かっこつけキャラ」になっているだけです。ツッコミすら入れられないのはただのバカなので論外ですが(でも沢山いる)、ツッコミだけでは棒立ちです。
 だから、わたしたちに可能な唯一の自由とは、ツッコミを入れながらもとにかくパンチをかわし、武道会を勝ち上がることです。もちろん、武道会そのものを解体しても結構ですが、目の前に迫った攻撃を裁けないようでは別の理由でリングを降りるオチしか待っていません。
 つまり「現実は物語ではない」と言うだけのとき、それは「物語」として浮上する閾値以下の解釈に身を委ね、ホメオスタシスに揺られている、ということです。

 すると勇猛果敢な模範解答として「歴史参加性を自覚せよ!」「自ら統制的理念に殉ぜよ!」といった熱い(暑苦しい)指針がやって来そうですが、一度「待った」をかけておきたいです。
 昔はこういうことを本気で語る人たちというのがいたようで、その成れの果てがお誕生席で日がなスポーツ新聞を読んでいたりします。おそらく「VIVA物語」な時代というのは一定周期で回って来るもので、あの人たちはたまたまそこにヒットしてしまったため、流行に乗って叫んでみたのでしょう(中には違う人もいます)。
 そういう加齢臭どもに嫌気がさしたポストモダニストは、「風呂敷は広げないに限る」とスネてしまいました。
 柄谷行人さんが『世界共和国へ』で次のように書いています(※4)。

(歴史の目的とは仮象であるが)われわれが生きていくために不可欠な超越論的仮象なのです。(・・・)一般に、ひとが否定する理念とは、「構成的理念」のことです。歴史の意味を嘲笑するポストモダニストの多くは、かつて「構成的理念」を信じたマルクス・レーニン主義者であり、そのような理念に傷ついて、シニシズムやニヒリズムに逃げ込んだのです。しかし、社会主義は幻想だ、「大きな物語」にすぎないといったところで、世界資本主義がもたらす悲惨な現実に生きている人たちにとっては、それではすみません。(・・・)
統制的理念と構成的理念の区別が必要なのです。統制的理念は、決して達成されるものではないがゆえに、たえず現状に対する批判としてありつづけます。(p184)

 とても勇気の出る言葉なのですが、逆に言えばほとんどの人は「構成的理念」と「統制的理念」を区別できない、ということです。「訓下」「啓蒙」しようなどという試みは、ホメオスタシスの執拗さをナメ切っています。
 そのため、もし自らの放り込まれた物語を再解釈しようとするなら、統制的理念を一定程度共有できる少数の者によって(もしくは一人で)、キャッチーな物語で大衆を誘導する必要があります。これこそ歴史的ファシストのやったことですが、今では「ナチスの発明」よろしくほとんどの高度資本主義国家に発展的に継承されてしまっています。


 というわけで、さんざん引っ張ってきておいて台無しですが、歴史的ファシズムについて言えば、物語との関係はわたしたちが見知っているものと大して変わりありません。時空的に距離を置いているだけ、客観的な目で見られる、というだけです。
 しかしここで言う「ファシズム」、つまり「今ファシズムと言うこと」では、少し事情が違います。
 それを考えるには、歴史的ファシズムについても、振り返ってみた時の物語ではなく、物語に巻き込まれまくっていた時の「これからどうなるの!?」を感じる必要があります。
 多くのイタリア人が、ファシズムについて否定的に振り返っています。その中にはファシズム体制の時代からファッショに懐疑的だった人もいるでしょうが、一時本気で熱狂し、後になってから「一体あれはなんだったんだ」「アホやった」と考えている人も少なくないはずです。
 そしてわたしたちは、歴史的ファシズムを経験し、「ファシズム」と言えば「敢えてファシズム」な地点にいます。自ずと振り返って見たときの「若気の至りへの反省」が先に来ます。
 模範解答的には「過去の教訓に学び過ちを繰り返さない」等となるのでしょう。しかしこうして先人の「結論」だけ貰ってしまうことこそ、ホメオスタシス的に現物語に埋没することに他なりません。
 これがファシズムではなく、もう少しイメージの良い何か、例えば「起業」辺りですと、それで痛い目にあった教訓を聞きつつ自らチャレンジ、という姿勢もそれなりに受け入れられます。新しい物語を始めはするものの、現物語と齟齬をきたさない範囲だからです。
 しかし「ファシズム」を始めるとなると、これは電気コンセントの横に置いてあるピンセットを敢えて突っ込んでみる行為に等しいです。
 普通の人はそういうアホなことをやりません。
 突っ込む人がいるとすれば、ただのアホか、何かものすごいアクロバットを演じて「愚行を偉業に変える」はずです。
 ピンセットを突っ込んで、仮に安全に切り抜けることができたとしても、何かが得られるわけではありません。カラッポです。
 でもどういうわけか、ピンセットを持ってコンセントに吸い寄せられる時というのがあります。何かものすごい物語が展開していきそうな予感。どう考えても理屈に合わないし、絶対やめた方が良いのだけれど、でもどうしてもやらなければいけない気にさせる吸引力。

 道は二手に分かれています。やるか、やらないか。
 この時「やらない」のは、物語の愚昧を否定しているようで、実は物語に耽溺しています。わたしたちは常に既に物語に巻き込まれていて、その内部で快感原則に身を委ねているのです。
 しかしこの揺りかごは永遠のものではありません。ホメオスタシスは、人工衛星が永遠に地平線の向こうに落下するように回り続けることですが、その軌道も徐々にズレて、最後には燃え尽きることが宿命付けられているからです。
 一方、「やる」選択はどうでしょうか。
 それは新しい物語を語り始めることですが、逆説的にも物語の外部に出ることです。ファンタジーを破る唯一の方法は、ファンタジーを実現してしまうことです
 物語の外部とは、人が人でなくなる領域です。これは「致命的」ですから、「やる」選択など大気圏再突入を徒に早めるだけ、というのが普通の見方です。
 しかし多くの場合、待っているのはもっと悪い結末です。燃え尽きもせず、違う軌道を回り始めるのです。連載打ち切りは自分の手では決められません。ネタも尽きているしキリも良いのに、あろうことか「まだ続けろ」と言うのです。
 『愛と幻想のファシズム』を読んだのは十年以上前なので記憶が定かではないのですが、確か登場人物の一人が夜明けの公園かどこかで「素晴らしく美しいもの」を見つける場面があった気がします。彼は「これこそ自分の求めていたものだ!」と熱狂するのですが、近寄ってみるとそれはハトの抜けた羽だかフンだか、とにかくものすごいつまらないものでした(※5)。
 一番恐ろしいのは、「目覚め」ても彼はまだ公園にいて、そこでは何も起こっておらず、まだまだ世界が続いている、ということです。
 ファンタジーを破るために実現したのに、そこもまたファンタジーにすぎず、しかもまるで面白くない物語に突き抜けてしまったのです。

 ますます「やる」選択の愚かしさが強調されてしまいました。
 しかし愚劣に見えれば見えるほど、「大逆転アクロバット」への期待が高まります。
 どの道ホメオスタシスの執拗さから逃れられないなら、今の軌道を回っておく、というのも一つです。一方、同じく逃れられないからこそ、「敢えて踏んでみる」というのも手です。
 経験を積めば積むほど、軌道維持を選ぶようになるわけで、わたしとしてもあまり踏みたくはないのですが、どこか心惹かれるものはあります。
 これはただの「フロンティア・スピリット」とか「起業精神」といったものではありません(※6)。フロンティアというよりはむしろ、祖国に火を放つような行為です。
 ウチのマンションに放火するのは本当にやめて欲しいですが、どうせ誰かが火をつけるなら、自分で燃やしてみたい。そういう誘惑に駆られちゃったりするわたしと似たダメ人間は、ここで言う「ファシスト」の才能があるかもしれません。


※1
ここで「現実」と呼んでいるものは、ラカン的に言えば極めてイマジネールなもののことですが、人口に膾炙した用法を優先し敢えて陳腐な表現を採用しておきます。

※2
「ファシズム・全体・死者とネットの人間関係」「ブログ記事評価におけるテクストの自律性を問おうとして人格概念と意味についての議論にはまりこんでみる」「『神々の沈黙』2 書かれたもの、交易、欺き」等参照。

※3
知覚の水準と政治判断を同列に述べては暴論ですが、話をわかりやすくするのにはしょらせて頂きました。

※4
「ファシズム・全体・死者とネットの人間関係」に続いてまた謝っておきます。こんな文脈で引用してすいません。

※5
本当にさっぱり覚えていないので、もしかすると他の小説だったかもしれません。さっき本棚の奥から引っ張り出してパラパラ眺めたのですが、該当箇所も見つけられませんでした。違っていたらわたしの創作ということにしてやってください。
余談ですが、小説なのに線が引かれまくっていました。当時はヤラれていたようです。うーん・・・。

※6
個人的趣味ですが、「フロンティア・スピリット」「起業精神」的な「破壊的ではない冒険」は、大英帝国ジェントルマン・スポーツ的というか、少年っぽいというか、乳臭くて好きになれません。ルールの中で戦うことが悪いとは思いませんし、楽しくステキなことですが、それをあたかもノールールでバリバリやってるぜ!みたいな顔をされるとうんざりします。所詮ゲームなんだから熱く語るなよ。うざいっつの。

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