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2007年05月08日

カロリーゼロの人口甘味料はなぜいけないのか

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 河口さんが「三点ダイエット」で排除対象にしている三点目が「甘味」。
 これまた「普通」です。
 面白いのは、甘いものはカロリーが高いからダメなのではなく、「甘い味のするもの」つまりカロリーゼロ人工甘味料などを含めて排除せよ、と指摘していることです。
 カロリーゼロの人口甘味料まで排除する目的は、

鈍感になった舌を自然な状態にもどして、太る原因となる不自然な摂食行動(の一部)を修正することにある。 (不自然な摂食行動とは)お腹が空いているいないに関わらず、何かを食べるという行動と、何かを食べるときに余計に食べてしまうという行動である。
(・・・)
フルコースに出てくるデザートを例にとってみてもいい。(・・・)果たしてデザートとはお腹が空いているから食べているのだろうか?ほとんどの場合は空腹を満たすためではないはずだ。
(・・・)
さらに、「新発売」や「珍しい」または「お得」「もったいない」という理由で食べる傾向も強いし、最後になったが「甘い」「辛い」という(空腹以外の)刺激を求めて食べる傾向も強いのである。 それはたとえカロリーがなくても甘いモノに関しては、甘いモノを摂り続けることで、さらに余計に甘いモノが必要な体質になっていくことがあるからである。

 まったくおっしゃる通りです。
 わたしたちが「食べる」のは、単に栄養を摂取しているのではなく、言わば言語活動の一環として象徴的な刺激を食べているわけです。それ自体はちっとも悪いことではありませんが、「食」が生理を越えた論理レベルの行動である以上、象徴活動の方でおかしいことが起こると歪みが身体の方にもフィードバックしてしまうのです。
 口唇的退行でアルコールに依存してしまったり、寂しさやストレスから過食に走ってしまうのは典型でしょう。

 わたしは甘いものはそれほど好きではないのですが、以前は食べるときは人工甘味料を使って作っていて、甘い飲み物も「カロリーゼロ」なら平気で飲んでいました。カロリーゼロのものだと、ここぞとばかりに余計に使ってしまったりするんですよね。そうした「食を捌け口」にする習慣自体が危険の始まりだと思ったので、河口さんの論を読んでから甘味も遮断することにしました。
 実はこの新方針、意外なほど効果がありました。
 カロリーゼロ甘味料については実質摂取カロリーは変わりないので、オマケのルール程度に思っていたのですが、人工甘味料を遮断してしばらく経つと、突然湧き上がる「ジャンク欲」が低下してきたのです。
 わたしはダイエットの最大の敵は精神的ストレスから来る過食や摂食障害だと思うのですが、あの「自分でもおかしいと思うのにどうしてもやめられない」衝動があまり起こらなくなってきたのです。これは大変な収穫でした。痩身とか何とか言う以前に、精神的に安定します。
 実際、人工甘味料が過食をもたらすという報告があります。

 米パデュー大学の研究者らはラットを2群に分け、1群目には味とカロリーとの関係が一致するように高カロリーの自然甘味料で味をつけた2種類の液体を与え、2群目にはうち1種類に人工甘味料のサッカリンで味をつけた液体を与えて、その関係が矛盾するようにした。
 10日後に高カロリーで甘いチョコレート風味のスナックを与えたところ、人工甘味料液摂取群のラットはそうでないラットに比べてカロリーの代償能力が低く、約3倍のカロリーを摂取した。

 人間の場合、こんなにストレートな反応が出ることはないでしょうし、深刻なカロリー過多に陥っている場合はカロリーゼロ人口甘味料を使うのも一つの方法だとは思います。また、上記はあくまでわたし個人の体験で、二重盲検的な調査をしたわけでありませんから、「気のせい」という可能性も大いにあり得ます。
 ただ、甘味を遮断したからといって別段失うものがあるわけではありません。最初のうちは「禁断症状」的に突然欲しくなることもあるのですが、しばらく経つと意外なほど欲求がなくなります。
 人工甘味料の問題と言えば、ダイエットコークなどで使われているアスパルテームの危険性などがよく知られていますが、これについては批判もあり、少なくとも一般の方が摂取してすぐ病気になるような害があるとは言えません。仮に害があったとしても、その程度の問題なら他の食品にもよくあることですしょうし、砂糖の方がある意味ずっと「危ない」です。むしろ、神経や習慣に与える影響に注意する方が現実的でしょう。
 まぁ、たまーにカロリーゼロ飲料を飲む程度なら気にするほどのことはないでしょうけれど。

 ついでに、河口さんは前々からわたしが信じてきたことをズバリ言ってくれています。

グルメな人に対し「舌が肥えている」ということはほめ言葉であるが、見方を変えるとそのような人は、なかなか満足しない鈍感な舌の持ち主であるとも言えるのだ。グルメに肥満者が多い理由の一つはこれらの傾向を持つためだと私は考えている。

 そう、「舌が肥える」のは結構なんですけれど、その分普通のものでは満足できなくなるってことでしょう? 同じものを食べているのに、前より「不味く」なるんですよ? そんなものが嬉しいですか?
 その上、「食通」が好むのはより脂肪過多の食品が多いように思います。「かつおは戻りかつお」と言いますが、それは8月から9月くらいの周遊後のかつおが三陸沖で沢山食べて脂が乗っているからです(※1)。油脂に中毒性があるのはよく知られていますが、要するに脂中毒になっていてより「こってり」しないと満足できなくなっているだけでしょう。

 ここから先はわたしの勝手な偏見ですが、「食道楽」というものがかなり嫌いです。
 いや、わたしだって美味しいものを食べたいとは思います。自分の「法」に反しない範囲で美味しいものを食べるようにはしています。その方が心的満足が得られてダイエット的にも良いですから。
 ただ、そうしたささやかな範囲を超えて、わざわざ「評判のものを食べに行く」といった行動がよくわかりません。よくわからないというか、はっきり言って軽蔑しています。行動の動機が「珍しいものを食べる」? 趣味が「食べ歩き」?
 お前は獣か。仮に思っていても口に出すな。そういう豚のような精神で生きているから、豚のように肥えるのだ。恥知らずめ。

 確かに、美味しいものを食べるのは幸せなことです。
 でも、自分の身体を「制御する」、正確に言えば象徴的に寸断することにより再構成する(これにより「制御する」意図は「失敗」し、予期せぬ「制御」として実現する)、というエロティシズムの方がはるかに美しく魅力的です。
 美食より美貌、戦闘力重視です。

『ダイエットミシュラン』 河口哲也 『ダイエットミシュラン』 河口哲也


注意:
 何度も書いていますが、わたしは狭義の痩身ダイエットや「健康」のためだけにこうした食生活を実践しているわけではありません。そうした効能もあるでしょうし、それらの効果により「信仰」が強化される、という点は重視していますが、所詮は理論化によるセコい心的防衛にすぎません。
 重要なのは戒律そのものです。極端な話、仮に結果として「健康を害す」ものであったとしても、そんなものは戒律と愛=暴力のエロティシズムの前では無に等しいです。
 『スポーツは体にわるい』という名著があります。様々な根拠を挙げてスポーツ有害論唱えているのですが、実はこの著者は大変なスポーツマンです。要するに「身体に良いとかいうセコイ動機でスポーツをするな! 好きなら身体を壊してでも極めてみろ!」という実に侠気溢れる主張です。
 わたしにとっての「食の戒律」も似たようなもので、少なくない人びとの「健康執着」も(当人は意識化していないでしょうが)同様なのではないでしょうか。「だから健康神話なんてくだらない」というのではなく、それ故にこそ「身体を壊すまで『健康』を極めよ!」と自爆的に宣言したいです。
 エロくなくっちゃ人生じゃないでしょ。

※1
かつお自体は「脂が乗って」いたとしても低脂肪な魚で、しかも良質の多価不飽和脂肪酸が多く含まれています。わたしもかつおは好きです。低脂肪志向なら初かつお、腹より背ですけれど。

関連記事:
「肉を食べないのは動物性脂肪のためではない」
「なぜ小麦を食べてはいけないのか」
「食と戒律、越境するファンタジー=愛」

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