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2007年05月19日

『ウィトゲンシュタイン―天才哲学者の思い出』 ノーマン・マルコム

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『ウィトゲンシュタイン―天才哲学者の思い出』 ノーマン・マルコム 板坂元 『ウィトゲンシュタイン―天才哲学者の思い出』 ノーマン・マルコム 板坂元

 非常に有名な本なのですが、今まで読んでいませんでした。
 手につけなかったのは、学生時代にウィトゲンシュタインのゼミでお世話になった先生が、哲学者の「人となり」を語ることを軽侮していたことの影響でしょう。彼は「哲学とはパズル+αである(αはないかもしれない)」と言って憚らず、そのストイックなところが潔かったのです。
 でもまぁ、わたしはアカデミズムの内部にいる人間ではないし、義理堅くなる理由もないので一応読んでみようかな、くらいで手に取ったのですが・・・めちゃくちゃ面白いです
 奇人として知られるウィトゲンシュタインを巡る回想録ですから、エピソードに事欠かないのは当然なのですが、単に「ヘンな人」を取り上げた下世話な本ではありません。ウィトゲンシュタインという人物の美しさが素直に伝わってきますし、何より素晴らしいのは、彼の「人間性」と哲学を無理矢理結びつけよう、という無粋な還元論が一切見られないことです。
 もしかすると失礼になってしまうのかもしれませんが、印象としてはオリヴァー・サックスの『火星の人類学者』に似ています。
 「変わった」人物を取り上げてはいるけれど、観光趣味ではなく胸に響くものがある。つまり「これはわたしだ!」と思ってしまう部分がある(わたしだけ?)。そして「哲学」あるいは「疾病」について、詳しい知識を要求されるわけではない。
 さすがに「ウィトゲンシュタインって誰?」だと楽しめないと思いますが、ウィトゲンシュタインの哲学について知悉している必要はまったくありません。「読み物」としてサクサク進められます。『論考』と取っ組み合ったけど結局さっぱりわからなかった、くらいの方が読むと一番面白いのではないかと思います。

 ウィトゲンシュタインが統合失調症であったとかアスペルガー症候群であったとかいう議論はよくあるのですが、実際のところ「疾病」として何だったのか(何でなかったのか)はどうでも良いです。しかし「分裂病的知性」の持ち主であったのは間違いないでしょうし、ある種の自閉症者が匂わせる異様な「率直さ」と美しさを備えた人物だったのでしょう。

彼は、ウェールズで経験した出来事を、うれしそうに聞かせてくれたことがある。ある牧師の家に下宿していたが、はじめてこの家にウィトゲンシュタインが行ったとき、そこの女主人が、ティーが好きかどうかなど、あれやこれやについてその好き嫌いをウィトゲンシュタインにたずねた。そのとき、向こうの部屋から彼女の夫が「何も聞かなくていい。ただ差し上げるんだ!」と叫んだ。ウィトゲンシュタインは、この声に強く感銘を受けたそうだ。非常に寛大な人や親切だったり正直だったりする人について話すときに、ウィトゲンシュタインが、よく使った形容は、「ああいうのが、本当の人間だ!」という表現だった。ほとんどの人間が、人間として落第だった、という意味合いをもって言っていたわけである。

 この下りの直前にある「ぼくは愛情を人に与えることはできないけれど、ぼくには非常に必要なんだ」というウィトゲンシュタインの台詞にも惹かれます。
 普通に考えたら(共同体的道徳規範に照らすなら)とんでもなく自己中心的な発言です。ある意味「人でなし」です。
 しかし、彼のような人物こそ「本当の人間」です。
 あんまり人間すぎたので、人間ではなくなってしまったのです。

関連記事:
「人間のフリをする人間 」
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「『ウィトゲンシュタインと精神分析』、自然にしていたら自然にできない」
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