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2007年06月09日

外山恒一さんと三度接触、匿名的権力と管理なき管理

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 昨日はまた、外山恒一さんに会いに高円寺に行って来ました。
 外山恒一さんご自身、そして彼の周りに集まっている人々について、わたしの中でちょっと見方の変化があったので、その辺を中心にメモしておきます。

ヤンキーは嫌い

 外山さんはヤンキーがお好きでないようです。
 わたしはヤンキーおよび広義の「元ヤン」こそが無名の群れとして日本を作っており(東京人の多くも所詮はヤンキー的地方人が気取っているだけ)、ヤンキー的精神への訴求力と覇権には深い関係がある、と考えているのですが、外山さんはヤンキーは好きではなく、むしろチーマーの方がファシストに近い、と考えているらしい。
 だからと言ってヤンキーを切り捨ててしまっているわけではなく、右翼・ヤクザ的精神を通じ間接的な経路を作っていく、ということは考えている。
 「チーマーの方がファシストに近い」という点は同感なのですが、ヤンキーとオタクは運動としてのファシズムにおいて車の両輪ではないか、と考えられるため、ちょっと意外でした。イヤな両輪ですね・・・。

石川九楊が好き

 石川九楊さんという、かなりぶっ飛んだ書家の方がいて、興味があるのではないかと思って話をふってみたところ、お好きの模様。『二重言語国家・日本』は外山さんとわたし両方のお勧め本です。
 ちなみに、外山さんが時々推奨している福田和也さんのことがわたしは大嫌いなのですが(デブだから)、以前どこかで読んだ彼らともう一人(誰だか忘れました)の鼎談でも、福田和也タジタジという様子でした。外山さん、福田和也なんかより石川九楊さんですよ! デブじゃないし!

浅野史郎の方こそ「管理社会」を作る

 石原慎太郎と浅野史郎なら、断然石原に好感を持つ。もし市民派が田中康夫を擁立していたら、多少は支持できていた。
 支配者は「ヘンな人」でなければならない。左派でも右派でも、「ヘンな人」がやっている分には、支配は名を持ち、良くも悪くも巧妙になり切れない。浅野史郎のようないかにも「善良な市民派」で、色のない人間が立った時こそ、本当に危険だ。匿名的権力こそ真に警戒しなければならないものだ。
 これは非常に重要な点で、まったく同感です。
 色のない人間、特に「善意」な人間が「緩い支配者」になった時、実質的なコントロールの主体となるのは官僚と匿名的「善意の人々」です。わかりやすく言えば、オバチャンが無名の群れとして支配者になる、ということです。ゴミの出し方のような名も無き「正論」がまかり通る社会、つまり豚が幅を利かせる社会です。
 これは全力で阻止しなければならず、豚の前に力を握り、豚どもをこそ管理下におき、できれば屠殺しなければならない
 最後のボールドにしたところは、外山さんというよりわたしの言葉です。彼は屠殺とまでは言っていません。(脚注参照)

エスペラント語がちょっとできる

 外山さんはエスペラント語がちょっとできるようです。
 といっても素朴にエスペラント語信奉者なわけではなく、今時エスペラント語をやっているような人間は変人ばかりで、ヘンな人との接点になるから、とのこと。エスペラント語世界のネットワークは、どこかフリーメーソン的というか、どこの国に言ってもエスペラント語協会を通じて人脈ができるらしい。
 ちなみにエスペラント語をやっているアメリカ人には二種類いて、「言語の壁を越えれば世界が一つに!」な極アメリカ的能天気タイプと、パワーの国アメリカに付いていけない「ダメアメリカ人」がいるそうです。そしてもちろん、面白いのは後者。


 メモはこれくらいにして、「見方の変化」についてまとめておきます。

 外山さんはご自分でも「カリスマ」的に組織をまとめる人間ではない、と仰っていて、実際「臨時総統」を名乗っているわけですが、本当に「カリスマ」というより「場」を重んじる人間だな、ということを改めて感じました。
 何を今更、かもしれませんが、おそらくはわたし自身が「カリスマ」的なるもの、力の「ファシズム」、「オレ様主義」的なものに惹かれ過ぎていて、勝手に外山さんに投影していたようです。外山さんよりわたしの方が余程「オレ様主義」です。すいません。
 実際の外山さんは、(特に都知事選の政見放送を見ただけの人にとっては)意外なほど優しく、良くも悪くも「かわいいひと」です。彼はとても「寂しがり屋」で「自分が好き」なのですが、そうしたある意味矛盾した対人志向を、人との間でそこそこ実現していくことを心得ています。これは彼が「運動の人」で、人との接触(時に対立)を軸とする人生を歩んできたことから身に着けたスキルでしょう。
 外山さんは「場」をとても重要視しています。
 この「場」とは、別段「外山シンパ」によるものではなく、批判も含めた「問題系の共有」の「場」です。実際、彼の周囲にいる人々は「外山信者」なわけではなく、皆それぞれに何らかの「共通の問題系」を見つけているだけです。その多くは端から見れば「勝手な思い込み」でしょうし、個々の「外山観」は驚くほど多様で、まとまりがない。しかし外山さんはそうしたことを統制しようとは全然せず、とにかく「場」ができていることを評価しているようです。

 ここからはまったく個人的なことですが、昨日の「集まり」については、当初参加を迷っていました。
 web上で告知があったため知ってはいたのですが、ネイキッドロフトのイベントが余りに人が多くて疲れたこと、外山恒一さんという人物には興味を持つものの、彼の周囲の人々には必ずしも好感を持っていなかったこと、ハッキリ言って高円寺が嫌いなこと、が理由です。
 しかしこれらは、わたし自身の複合観念の投影にすぎません。
 わたしには、かつて「高円寺的」な空気に惹かれ、その後決別した、というバックグラウンドがあり、広義の「高円寺的なもの」に対し魅力と激しい否定的感情の両方を抱いています。これが示すのは、とにかく「高円寺的なもの」を巡る軸がわたしの中にあり、肯定にせよ否定にせよ、無縁になることはできない、ということでしょう。外山さん界隈の「濃すぎる人々」に対し警戒感を持っていたのも、その表れと考えられます。わたし自身が「濃すぎる」人間で、それがイヤでイヤでたまらない一方、捨てきることもできないでいるのです。
 わたしは今後も「高円寺的なもの」を全肯定することはありませんし、高円寺やその界隈、似た街に住むことは絶対にありません。
 「ドロップアウト」には否定的ですし、「体制」の内部にいながら、散発・各個撃破する個別的精神、「バラバラさ」だけを信じます。根幹をなすのは「潜伏」という考え方です(所詮奇人なので、あんまり巧妙には潜伏できていませんが)。
 しかし、「界隈の人々」も、時間をかけて話してみると当然ながら人それぞれで、それこそ「個別的魅力」を感じることもあります。また、自分の気の弱さの余りなかなか気付かなかったのですが、これも当たり前ながら、わたしが彼・彼女らを警戒する一方で、彼・彼女らにも、人によっては、「ちょっと場違い風」なわたしを警戒する気持ちがあるのではないか、と思うようになりました。
 こうした「警戒」はむしろ良いことです。
 「議論は議論として、共通の枠の中で公平にぶつけ合えば良い」などという箱庭思想ほど唾棄すべきものはありません。世界はジェントルマン・スポーツではありません。
 議論で決着がつかなければ、決闘でも戦争でも手段を選ばないのが真実です。だから議論をする、話をする、さらに言えば人と関わるというのは、「今日戦って死ぬかもしれない」という覚悟があって初めて意味を持つものです。
 そして戦って死ぬのは怖いだけでなく非常にダルいことなので、警戒心がある方がマトモです。警戒しながらも、うっかり好奇心に負けてしまう、というのが正しい構図です。
 世の中には、好奇心をむき出しにする警戒心の薄い「人好き」で、顎を割られる事態を想定せずに人と交わろうとする人間がいますが(特に女)、これほど醜い者はいません。顎を割られることを想定しない人間の顎を割らなければなりません(※1)。
 これは別段、戦いを推奨しているわけでは全然なく、頭の片隅に「最悪の事態」を想定し、キチンと恐れ(ホメオスタシスに執着し)、そして正しく好奇心に敗北せよ、と言っているのです(もちろん、好奇心に勝てたなら関わらなければ良い)。
 わたしも可能な限り戦いたくなどないですし、人並み以上に打たれ弱く、激論になることすら避けたいです。ただ、それ以上に「警戒心のない人間」への憎悪が強いので、気が付くとバカ女の筐体を破壊していることもありますが、多分それは彼女たちのカルシウム摂取量が不足していて骨格構造が脆弱なためでしょう。わたしのカルシウム摂取量が不足していてキレているわけではありません。

 話を戻すと、内心ビクビクしながら「界隈の人」と話してみると、外山さんとは別に「この人はこの人で面白いところがあるな」という、当然のことに気付くようになりました。「高円寺的なもの」へのバイアスゆえに、彼・彼女ら個々人をよく見られていなかったところがあったようです。申し訳ないことをしてしまいました(※2)。そして改めて、わたし自身の中にある広義の「高円寺的なもの」(個人的には「京都的なもの」なのですが)、を自覚するようになりました。
 これとあまりマトモに向き合ってしまうと日常生活が厳しいのですが、一方で目を逸らしているだけでは覚悟なき豚に等しいです。別段徹底究明する気はありませんが、何らかの形で「語りだす」必要がある気がします。
 極私的にパラフレーズすると、わたしと「石倉由」との付き合いです。
 わたしの人生は、彼女を救い出し、その後否定し、生き延びることでした。その時その時は肯定や否定といった断片的判断しか持っていませんでしたが、冷静に考えれば、要するに彼女と切った張ったすることが<わたし>だったのでしょう。
 というわけで、今、わたしはもうちょっとだけ「石倉由」を表現する必要がある。具体的なことも少し考えています。
 とりあえず、彼女は多分、外山恒一さんに劣らず「ファシスト」で、しかも方向は大分違って、戒律と粛清が大好きです。

※1
 これは「匿名的支配」を警戒せよ、ということと繋がります。
 浅野史郎擁立派的「管理」、「管理の名を持たない管理」とは、個別的覚悟のない大衆による無名の支配です。広義の「支配」が消えてなくなることはありません。無名支配を阻止するには「名を持つ支配」で先手を打つより他にありません。
 浅野史郎さんのことをよく知っているわけではありませんが、多分彼は「良い人」なのでしょう。そして「良い人」を擁立する市民派も、一人ひとりは「良い人」の傾向が強いように思われます。しかし「良い人」が集まって良いシステムができるかと言うと、まったくそんなことはありません。なぜなら、システムと支配とは、個というホメオスタシス=快感原則的なものを破壊しようとする力が外在化したものだからです。
 この破壊しようとする力、死の魅惑から、人が自由になることはありません。「良い人」たちに欠けているのは、闇の力の抗えなさ、ホメオスタシスと同じくらい強いこの力への自覚です。死の魅惑を制御し切ることなどもちろんできませんが、免疫なき「良い人」たちが集まった場合には、最悪の暴走につながります
 この暴走を食い止め、「ほどほどの死」で手を打つためには、むしろ死を内に抱えたもの、死の覚悟というより「殺す覚悟」を持つ人間が必要です。「殺す覚悟」があって初めて、暴走的には殺さない(ほどほどに殺す程度で収める)ことができるのです。
 ややナイーヴな比喩ですが、動物行動学者コンラート・ローレンツがこんな指摘をしています。同族を一撃で殺す武器を持つ動物(オオカミなど)には、必ず死に至らしめることなく勝敗を決するコードがある。一方、その力のない被食動物は、時に同族を死に至らしめてしまう。ハトはハトを集団で突き殺すことがある。

※2
 彼・彼女らが、平均的日本国民に比べて「濃い」傾向があるのは確かです。「濃い」ことは大変良いことなのですが、問題は濃さが目に表れすぎていることです。
 外見とは独立した内面など存在しないので、完全に消し去ることはできないのですが、それでも目立たないようにしたり、カムフラージュすることはできます。しつこいですが、サイボーグ・ファシストは「潜伏」を重んじるので、見た目が余りに目立つ、特に世間的に不利な視覚印象を与えてしまう、ということには極めて否定的です。
 別段サイボーグ・ファシストでなくても、「濃いけれど濃く見えない」人には優秀な人が多いです。人は見た目で判断するものですし、「濃い」外見は大衆受けせず、戦術的に賢明ではありません。「普通のこと」と「特殊なこと」の両方ができて初めて1点です。
 見た目で能動的に「表現」しないと伝わらないような「個性」なら、所詮その程度ということです。そもそも「個性」などという発想が愚劣ですが(比較基準としての「ニンゲン」を暗黙的に想定し、枠に嵌めているだけ)、表現とは「うっかり出てしまう」ものであり、何かを伝えるものではありません。そして「出そう」と思ったときには、自分で意図していなかったものだけが出るものです。
 もちろん、そこまで計算尽くでやっているなら、素晴らしいです。

追記:
 石原慎太郎さんと浅野史郎さんのことを書きましたが、わたしは別段石原支持者ではないですし、基本的に嫌いです。
 どちらにもお会いしたことがないので想像でしかありませんが、多分「人間的」には浅野史郎さんの方がずっと「いい人」です。職場にどちらかいるなら、断然浅野史郎さんを選びます。
 しかし「いい人」が「いい人」たちの群れ(いい人だけどバカ)に支えられて権力に付くことは、「悪い人」が権力に付くよりもっと危険だ、と考えているだけです。


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