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2007年06月30日

『北一輝論』 松本健一

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『北一輝論』 松本健一 『北一輝論』 松本健一

 おそらく松本健一さんの本で一番売れていて、かつ北一輝論としても最もポピュラーな一冊。
 松本健一さんには全五巻からなる「評伝 北一輝」がありますが、相応にヘヴィですから、『北一輝論』がやはり手が付け易いです。
 しかし、教科書的な編年体の概論を期待していると、期待外れになります。『北一輝論』は、様々な媒体に別々のタイミングで発表されたテクストを集めたものです。それだけに各論にかなりバラつきがあり、北一輝初心者(?)にはとっつきにくいところもあります。
 ただ、この本を手に取るような方は、教科書に登場するような北一輝の軌跡程度はなんとなくわかっている人でしょうし、北一輝を語らせたら日本で一番喋り続けそうな松本健一さんの熱い論を楽しむ、という意味では格好の一冊です。
 個人的には、北一輝ファンというよりは松本健一ファンなので、北一輝の恋愛やら和歌やらを主題にしたものにはまるで惹かれなかったのですが、北一輝を軸に「革命としてのファシズム」や国家論、戦前の皇道派・統制派などが語られる下りは興味深く読めました。

 北は国民として、ネイション(国民)を圧殺せんとする国家を奪取する手段を模索した。ナショナリストの革命は、ここに極まっている。しかし、唯一者が国民を自覚して絶対意志をもつ以外には、国民が歴史の前面に出る途は戦前はまったく閉ざされたいたのである。と同時に、国民足るべき国民がその途をふさがれることによって、ナショナリズムを一方的に侵略主義・軍国主義として嫌悪したところに、近代日本の前近代性があった。  この前近代性を照らす格好の鏡がある。家が国家の原型をなしていることを、今日認めぬ社会学者は、まずいないといってよい。だが、一人の絶対自由を希求する子供が、家の支配者、道徳の権化としての父を弑するという設定があるとすれば、それは国家の君主を無視し侮蔑し、弑することと相似であると思いつくことも可である。(・・・)とはいっても、我国では、家は国家の原型であるとする概念規定は喜んで導入する割には、家長や帝王を抹殺する弑逆説は、ムアヘッド学説が闇に葬られて以来、紹介されなかったし、考え出されなかった。このことは近代日本の前近代性を明かす上で重要である。

 「ムアヘッド学説」が正確に何を指すのか、恥ずかしながらわからなかったのですが、文脈から察してオイディプス的父殺し神話のことでしょう。日本には父殺し神話がない。まったくないわけではないかもしれませんが、少なくとも欧米のように文化の基底を流れてはいない。
 これはわたしも非常に気になっていたことで、この国に必要なのは父を殺すことより母を解体することではないか(国敗れた後に残る「山河」的幻想の破壊)、と考えているのですが、私見に過ぎるのでまたの機会に譲ります。

 もともとわたしは、明治維新以後明治国家から大日本帝国への道程の主導権を握っていたのは、右翼でも左翼でもなく、この二つの間で均衡をはかりながら常に権力を握り続けているリベラルである、という認識があった。リベラル=自由派といえば聞こえがいいが、それは資本主義体制化の保守派であった。これが、明治国家から大日本帝国へのひとすじの道を造りあげ、これを変革せんとする諸々の行為のうち、最左翼に属するものが大逆事件として切り捨てられ、最右翼に属するものが二・二六事件として切り捨てられたものであった。いま、最左翼と最右翼と書いたけれど、権力を握るリベラルにとっては、それらはいずれも体制破壊の行為としてとらえられた。なお、ここでいうリベラルとは、権力を表面に押し出す側と、それを批判し体制破壊を弁護する側とを、ともに含むこの二つの方向は互いに相補完しあって、体制のリヴァイアサン性の全体を形造っているのだ。(下線引用者)

 これも極めて重要な指摘で、敢えてパラフレイズするまでもなく簡潔にまとめられています。
 匿名的=偏在的「母」の支配と、見えざる「リベラル」の権力、ということは表裏一体でもあります。正確には「母」を表象代理する何者かがいるわけではなく、母的なる肉、暗黙の基体の想定こそが、匿名的権力としての大衆を下支えしています。
 母には何かが欠けているのですが、この国の「未熟さ」とは、この欠如が抑圧の対象となるほどにも通過されていないことにあるように感じられます。家父長制が言われながら、その実「父殺し」すら持たない社会に、上澄みとしてだけ輸入された「日本フェミニズム」が、独特の醜悪さを示すようになったことも故無きではないでしょう。

補遺:
 もちろん、一部の「ものすごい頭の良いフェミニスト」には学ぶこともあります。しかしこの国のフェミニズムの大勢ということで言えば、その内部に時に正反対にもなる多様な「フェミニスト」を生み出したことにより、それなりのマーケットを開拓した、という点くらいしか省みる点があるとは思っていません。もちろん、彼女たちほど「数の論理」の操作に長けた人々もいませんが、そんなものは屠殺対象の目印でしかありません。

「『日本の失敗―「第二の開国」と「大東亜戦争」』 松本健一」

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