前の記事< ish >次の記事
2007年07月15日

大川周明とイスラーム、日本のイスラーム化と「さておかれない冗談」

はてなブックマークに追加  delicious_s.gif  このエントリをlivedoorクリップに追加

『大川周明』 松本健一 『大川周明』 松本健一

 いきなり「大川周明の不人気」という話題から入ります。
 例えば大川周明の「ライバル」北一輝。知名度という点ではほぼ同程度でしょうし、普通の教育を受けた日本人でこの二人の名前を知らない人はいないでしょうが、カリスマ的人気という意味では雲泥の差があります。
 北一輝が良くも悪くも「激烈なる革命家」な悲壮感を漂わせているのに対し、大川周明で有名なのは、極東軍事裁判で東条英機の頭をポコンとやって松沢病院送りになった、というちょっとコミカルなエピソードばかり。詐病説もあり、A級戦犯でありながら気の触れたフリでおめおめと生き延びた、というイメージもあります。
 しかし現代の「革命家」は、「カッコイイ革命家」(左翼にとっては「傲慢な大陸浪人」)北一輝より、「コミカルなまでのアジア主義者」大川周明に参照点を見出して頂きたい。注目する理由の一つは、正にそのコミカルさ自体ですが(後述)、もう一つ、彼が日本におけるイスラーム研究の先駆者であった、ということがあります。

 大川周明が獄中でコーラン(クルアーン)の全訳を遂げたことは、よく知られています。そして少なくとも一時期、大川の東西対抗史観において、「融合」のファンタジーがイスラームに見出されていたことは間違いないでしょう。
 孫引きになってしまいますが、日露戦争がアジアに与えたインパクトについて大川周明が語るテクストに、以下のような一文があります。

(アジア各国が日本を賞賛する中、)エジプトに於ける国民主義の機関紙アル・モヤドは日本が回教国たらんことを切望し、「回教日本の出現と共に、回教圏の全政策は根本的に一変せん」と論じた。

 日本のイスラーム化。松本健一さんも「一種のジョークか、破れかぶれの発言におもえる」と言う通り、あまりと言えばあまりに突き抜けています(※1)。
 しかも彼は、イスラームが「東西」の「東」を担うなどとは考えておらず、当時の慧眼として、イスラームが極めて「西洋的」であり、むしろイスラームがあって初めて「ヨーロッパ的なるもの」が析出された、ということを認識していました。にもかかわらず、どこか「イスラームによる世界征服」を本気で妄想していた節があります。大川周明には、「さておかれない冗談」的な「本気とも冗談ともつかなさ」があります。
 「バカ正直こそ最も危険な反権力分子」でも書きましたが、「アンチ」などという手段は常に権力を補強する役割しか果たしません。かといって、市民派的に「小さな安全圏」に引きこもってしまうのは最低に醜悪です。権力をもって権力を制す。そして、圧倒的力量差にも関わらず「力」で跳ね返そうとする、という無謀な戦術が成功するのは、「力」がコミカルな色彩を帯びる時です。
 本気か冗談かわからない、面白すぎて無気味になる、その瞬間、「さておかれない冗談」が出現します。それは権力を成立させている場そのものを脱臼させるがゆえに、背後から襲うブラジリアン・ハイキックのように権力以上の権力となるのです。

 無謀にも大川周明の心の軌跡を推測すれば、おそらく当初は素朴に「東」なイスラームを思い描き、アジア主義の一基軸と認識したものの、その秀才からすぐさまイスラームの本質を見抜き、端的な東西対立史観には組み込めない、と判断したのでしょう。それでもイスラームを捨てない、というところには明白な矛盾があります。この矛盾は、大川の合理精神とロマン主義という矛盾とパラレルな関係にあります。

 大川周明といえばロマン的アジア主義、というイメージですが、根底にあったのはむしろ近代的合理精神です。

(・・・)主義は何であれ必ず或る所で落ち着きます。これは主義がどうかうといふためでなく、実に人間の共同生活の必要のためであります。
 この「必要」といふことが最後の決定者であります。

 こうした「合理主義」的側面を坂口安吾とオーバーラップさせる、という、例によって右翼からも左翼からも叩かれそうな荒技を松本健一さんはやっているのですが、おそらくは近代性と秀才性が極まったところで、「失われたもの」としてのファンタジーが彼に舞い降りたのでしょう。
 大川にとってのイスラームも、当初はむしろファンタジーの側にあったのですが、どこかの時点でその「合理性」に気付く。しかもイスラームの「合理性」は、西欧的「合理性」とは異なり、別の場所で松本健一さんが指摘されている通り、ネットーワークする力、固定的場を信じず、関係性に依拠する、言わば論理レベルの高い「合理性」です。
 開発者にわかりやすい言い方をすれば、洗練されたラッパーであるがゆえに、直接低レベルAPIを触ることを「禁忌」とするのです。こうした発想は、砂漠での遊牧・隊商生活、という、アラブ人の「商業性」に由来するものでしょう。そして一旦抽象度の高いフレームワークが出来ると、今度は非アラブ的な世界にも広がっていく。WindowsにおけるJAVA VMのようなものです。
 もちろん、JAVAと一緒でイスラームが完全普遍なわけではありません。移植先によっては「低レベルAPIを触る」、つまり偶像性などを受け入れる必要もあります。世界最大の「イスラーム国」インドネシアでは、平気でムハンマドの肖像が売られていたりします。
 大川にとってのイスラームは、最初は東、次に西、そして最後に「最も不可解だが、もしかして東も西も越えるものかもしれない」という軌跡を辿ったのではないでしょうか。
 このような「遊動項目」は、一般にファンタジーの成立を妨害します。一つの象徴が「疎外された今=ここの<わたし>」と「失われた本質」の両方に出現してしまうのですから、言わばファンタジーにツッコミが入ってしまうのです。大川の「発狂」には器質的要因(脳性梅毒の疑い)が強いようなのですが、その最果てに「コーランの全訳」という行為が現れた、というのは、合理精神とアジア主義のカップルに対し、イスラームが脱臼作用をもたらした、あるいはカップルの破綻においてイスラームが「現実的なもの」として出現した(正確には「現実的なもの」を塞ぐためにイスラームがある種の「陽性症状」として機能した)、と見ることもできます。

 大川周明とイスラームについて考えた時、もう一つ気になるのは、両者の関係について、戦後イスラーム研究者がほとんど口にしない、ということです。

 一九七〇年代の末に、イランのホメイニを中心にしたイスラム革命が勃発し、中東世界ばかりか全世界も揺るがしたが、そのときイスラム革命あるいはイスラム教の解説書がいくつも出た。しかし、誰も「大川周明のイスラム観」については触れなかった。これは、ある意味で、大川周明が東西文明の融合、もしくは仲介者としてのイスラムについて明確に述べなかったからであるが、同時に竹内好が亡くなった(一九七七年三月)あとでは、「イスラムの世界征服については大川が・・・」という危険な方法で思想を展べることを禁じた学者のみが生き残っている、ということなのだろう。思想とは、本来的に危険な作業であるべきなのに、いまやそれは知識産業化してしまったのだ。

 こうした研究がまったくないわけでもなく、また大川周明がイスラーム研究の中で言及されにくいことにも一定の理があることを「一人でお茶を」さんが転載してくれているエントリで知りましたが、理由はそれだけではないでしょう。
 アカデミズム内でのイスラーム研究において、大川周明とは一つの症候であり、「それだけは言わないで」という性質を帯びてきたのではないでしょうか。症候とは、存在としての<わたし>、であり、世界に現出する無気味なシミ、そしてある時「この気味の悪いシミ、これはわたしだ!」と気付いてしまう場所です。単に処世術として「戦前危険人物になど触れないでおこう」というだけでなく、イスラームを専門として研究する人々は、自らの中に何か「大川周明的なるもの」を抱え、かつこれを排除することで自身を成立させていた、という面があるのではないでしょうか。
 歴史学者でもイスラーム研究者でもないわたしに、これ以上の推測はできませんが、この禁断の扉を果敢にこじ開け、飛び出してくれる研究者が出現してくれることを祈るばかりです。


※1
 実際、大川周明はダジャレの達人でもありました。元寇を北条氏が撃退したことと日米開戦時の東条英機をひっかけ、「敵、北より来れば北条、東より来れば東条」というコピーを案出しています。
 ただ、大川は東条英機自身についてはかなり批判的だったらしく、同じくダジャレで「米機を撃つなら英機も撃て」(アメリカ軍機、イギリス軍機と「東条英機」をかけている)とも言っています。
 極東軍事裁判での「ポコン」といい、つくづく「さておかれない冗談」な人です。


関連記事:
「『北一輝論』 松本健一」
「『日本の失敗―「第二の開国」と「大東亜戦争」』 松本健一」
「日本のムスリム社会、日本人ムスリム」
「『イスラーム戦争の時代』 内藤正典」
「中東イスラーム民族史―競合するアラブ、イラン、トルコ」

はてなブックマークに追加  delicious_s.gif  このエントリをlivedoorクリップに追加 FC2ブックマーク ニフティクリップ Yahoo!ブックマーク .

カテゴリ:ファシズム, 文学・思想 <この記事を気に入って頂けたら、同カテゴリの過去ログを参照してみてください
よろしければクリックしてください>人文blogランキング  ランキングオンライン にほんブログ村ブログランキング


大川周明とイスラーム、日本のイスラーム化と「さておかれない冗談」

« はてなスターをMovable Typeで好きな位置に表示させる | ish☆手作りスキンケア・サイボーグ | webは「砂の文明」である »

コメント

サイン・インを確認しました、 . さん。コメントしてください。 (サイン・アウト)

(いままで、ここでコメントしたとがないときは、コメントを表示する前にこのウェブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)


情報を登録する?