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2007年07月10日

バカ正直こそ最も危険な反権力分子

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 依然拘留中の外山恒一さんが、拘置所からブログを更新しています。平均的日本国民に比べ、拘留・逮捕といった経験を圧倒的にポジティヴに使える立場にいるとはいえ、拘置所生活が楽しいわけはないでしょう。わたしの会った限りでの彼はブログの文面ほどダークな人物では全然ないのですが、いい加減腐った気持ちになっているかもしれません。
 例によって本気とも煽りともつかないトーンで、謀略説まがいのことを主張していることもあります。「外山陣営はすべてがトロすぎる」で書きましたが、わたしはこの件について、99%ウラはないだろう、と思っています。別段根拠はないので、深い政治的力動が働いている可能性もゼロではありません。しかし今考えているのは、わかりやすい「謀略」でも平凡な(?)お役所的拘留でもなく、より根本的なところで彼の存在が「反権力」であり、余りに「反権力」すぎて権力自身が誰一人「危険だ」「陥れてやれ」といった意識化もできないまま、システマティックな機械的排除が働いているのではないだろうか、ということです。
 なぜなら、彼は尋常ではなくバカ正直だからです。

 権力はバカ正直を嫌います。「額面どおりに受け取りすぎるヤツ」は、「反抗的な人物」より遥かに危険です。
 別段権力が「悪」でウソつきだから、という意味ではありません。
 権力はウソをつくのではありません。権力の言説とは、evilでもfalseでもなく、端的にinvalidなのです。つまり内的に矛盾しています。この矛盾は権力の「ズルさ」や「ダメさ」から来るのではなく、正にこのinvalidity自体が権力を構成しているのです。
 ジジェクの『否定的なもののもとへの滞留』に次のような下りがあります。

今日の「啓蒙化された」世界においては、(・・・)<権力>の全能への信念はまったくもって馬鹿げたものとはいえないまでも、もはや時代遅れであるかのように思われる。しかしながら<権力>の作動は、まさに意識的レヴェルではこうした<権力>の無力を知っていながら―われわれは<権力>に対してシニカルな距離をとる―、無意識ではその全能を信じているような我々の分裂に基づいているのである。つまり、<権力>の作動は、<権力>の全能を無意識では信じていながら、[意識レヴェルでは]信じていないという事実に基礎をおいている。
軍隊勤務の経験がある者なら、誰もが次のような不可能な選択の論理を完全に知悉しているはずだ。すなわち、上司の命令に迅速にしたがわないなら、あなたは必ずや彼の怒りを買い威嚇を受けることだろう。しかし、その命令に要求どおりに従うなら、彼は貴方の過剰に熱の入った態度を嘲笑うだろう。本来、気軽に距離を取ることが正しいはずなのに、あなたは真面目に構えすぎているということだ。

 つまりはダブルバインド、どっちを選んでも正解がない、という状況です。
 ダブルバインドの効果とは何でしょうか。「何も信じられなくなる」でしょうか。
 ダブルバインドが導くのはむしろ「確信」、信じているとすら言えないような全能性への依存です。

 「正常な」世界も矛盾に満ちています。世界は一貫などしていません。
 非常にミクロな視点で言えば、わたしたちは家を見たとき、わざわざ裏側に回って確かめなくても、「家の全体」をイメージしています。イメージするというより、「全体」なるものを常に想定している、と言った方が正確かもしれません。
 この「全体」はもしかするとウソかもしれません。裏側に回ったら、実はカキワリかもしれません。そういう可能性をわたしたちは想像できますが、それでも「全体」を基本的に信じる、という認識を放棄しようとはしません。つまり、(世界なるものという)「全体」を信じるとは、疑う余地を含めて「信じる」ということなのです。「疑い」というフィクショナルな次元があって、初めて「現実性」という安定した世界が出来上がります。
 翻せば、石のように揺るがない「リアル」は、わたしたちが「現実性」と感じているものとは異なります。それが「確信」です。
 フィクショナルな次元、可能世界、「もしも」の余地を残さない物質的<現実>です。

 ダブルバインドには、こうした「確信」を作り出す力があります。どこにも正解がないのに、必ず選ばなければならない。この強圧は、「疑う余地があるが試してみる値打ちもある一貫性」という世界を生み出す余裕を与えず、ただひたすらに不合理な力、合理の向こう側にあるグロテスクな力を妄信するしかない状況を生み出します。
 これは「わたしには正解がわからないが、知っている人が少なくとも一人いる」、つまり転移とは異なります。知っている人はどこにもいないのです。「権力者」が一人もいないこと、空虚から発せられる力そのもの、そこに権力の核心があります。

不可能な選択の論理とは、まさに「プラグマティック[語用論的]な逆説」の、すなわち自己矛盾的遂行性の論理なのである。支障なく機能するためには、権力の言説は本来的に分裂を被らねばならない。

 このトラップから逃れる方法があるとしたら、何でしょうか。
 権力には「反抗」できません。なぜなら、「反抗」するだけの一貫性など、元より権力にはないからです。対象がないにも関わらず、選択を迫る力だけが発せられる。より正確には、中心の無さ自体が権力となる。このパワーを無効化しようとするなら、言説の断片を字義通りに遂行してしまうしかありません。
 「ウラを読もう」「うまく振舞わないと」というプレッシャーこそが、権力の実体なのです。
 ウラなど無いのです。実はあるのかもしれませんが、「実はあるかも」などという想像が既に罠に嵌っています。「実はあるかも」と思いつつシニカルに字義通りに取る、というのも戦略ですが、一番良いのは想像すらしないで本当に真正直に従ってしまうことです。

それゆえ、権力の言説と直面した際になしうる唯一の転覆的振る舞いとは、しばしばその言葉を字義通りに受け取るということになるのだ。

 「想像すらしないで」というのは、かなり難しい境地です。そう言っているわたしも、こうして言説化してしまった時点でもう負けています。山下清級の破壊力がなければ、なかなか真の「反権力」は実現できません。

 外山さんの話に戻りますが、様々な思想的相違や疑念にも関わらずわたしが彼に興味を持つのは、彼がとにかくバカ正直だからです。もういっそ、「正直」を取って「バカ」と言ってしまっても良いかもしれません(ごめんなさい)。
 もちろん、彼は彼で色々計算しています。都知事選の政権放送などは正に「計算づく」です。
 しかし「計算づく」と外山さんは明言してしまうのです。「ファシスト」を自称し、その上「ファシストであることを隠すことも厭わない」と書いてしまう。それを書いちゃったら隠せてないですよ
 本人的には本当に「ズル」なつもりなのかもしれませんが、ハタから見ればスキだらけです。そして逆説的にも、このスキだらけなところが彼の危険性なのです。

 スキだらけなまま向かってくる敵、これは本当に恐ろしいです。フェイントなんて完全無効です。ハナから見てもいません。
 おそらく警察(狭義の権力)としては、彼が本当に「政府転覆」するとして危険視しているわけではないでしょう。まぁ、彼らも仕事がないと困りますから、リストにくらいは入れているでしょうが、新左翼ほどにも構っていないはずです。もちろん、新左翼は警察に「雇用創出」の機会を与えているだけで、全然「反権力」ではありません。
 しかし、そんな安い「反抗」より根の深いところで、外山恒一は危険人物です。原付免許の試験で本音を書きすぎて落ちるタイプです。
 権力を巡る当事者の誰一人として、彼の「危険性」を意識化できてはいないでしょう。なぜなら、彼は権力の「無意識的」支配に対し、「無意識的」レヴェルで対抗しているからです。正確には、彼が「対抗している」と思っている場所で対抗しているわけではないので、何かの偶然で彼に憑りついてしまった呪いのようなものが、彼を「最も危険な反抗者」にしてしまっているのです。パンチを出したつもりが、キックが当たっています。

 最後に一番大切なことを言えば、権力が「権力者」の不在ゆえにこそ機能する以上、そのパワーを無効化される危険に最も晒されているのは、警察でも政府でもなく、大衆という匿名的支配者です。「名も無き善意の人々」、市民派リベラルのババァのような連中が、最も彼を恐れるべきなのです。
 もちろん、ヤツら一匹一匹には、彼の「危険性」を意識化できるような能力はありません。まさにその無能さゆえに、彼・彼女らこそ真の「権力」、「名も無く貧しい権力」なのです。
 新聞の一面にも三面にも載らないところで、豚と呪いが戦っています。しかも、どっちも自分が戦っていることに気付いてすらいません。

 豚も呪いも相当厄介ですが、豚というのはそもそも屠殺されるために生まれてくるのですから、呪いが豚どもを焼き滅ぼす日も存外近いかもしれません。


『否定的なもののもとへの滞留    ちくま学芸文庫』 スラヴォイ・ジジェク 酒井隆史 田崎英明 『否定的なもののもとへの滞留』 スラヴォイ・ジジェク

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コメント

「神の子、かまわないでくれ。まだ、その時ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか。」

投稿者 イヴリィ [TypeKey Profile Page] : 2007年07月11日 14:09

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