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2005年04月03日

完全なる過去の貞操帯

 ベルクソンで卒業したくらいなので、記憶は一時期のわたしの関心事の中心にあるものだった。しかし過去の過去性を記憶という概念で引き受けるところから語るのは極めて危険だ。身体的・器質的還元論が強力に待ち構えているからだ。問題は海馬などにない。
 ある時代の人々がこの問題を記憶という語を通じて名指したのには理合があったが(言うまでもなく、彼らの主眼は「脳の状態」に帰するような「記憶」ではない)、むしろ過去形という文法形式からアプローチする方がミスリードされることが少ない。過去は語らいの中に現前する。ただ、それは空間的な布置としてアクセス自在な形で展開しているわけではない。まして、数直線的時間モデルなど滑稽千万だ。
 重要なのは、過去がそこかしこに散らばりながら、常にわたしたちが局所的エリアにしかアクセスできないことだ。しかもそこで見出される過去の「意味」は、常に現在、あるいは未来からの遡及によってしか決定されない。誤解を恐れずに言うなら、過去は常に変動していくのだ。
 このことは、語らいの歴史モデルと齟齬をきたす。つまり、原因と結果が連鎖し数直線上に展開するモデルだ。この「三次元空間的パースペクティヴ」は、要するに過去を補填し完全なものにしようとする強迫的欲動の産物である。碁盤の目のように並んだ過去は、わたしたちの性感を満たすのだ。

 完全なる過去を求めるのは、この性感的営みの一貫として眺めるべきだ。つまりは、荒縄のように過去を縛り付けて血を滲ませる快楽によって、死に至る享楽、そして行為と決断から身を守っているのだ!

 欲求不満の変態女が、意味と原因の貞操帯で気取っている。
 この鉄の拘束は、外科医のメスすら恐れない。なぜなら、この種の切断こそが、過去の意味によってわたしを世界に投錨しているからだ。

この記事のカテゴリはカカリツケ


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