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2005年04月20日

吝嗇、恋愛、インスタンス変数

 「不幸自慢」の吝嗇さと恋愛は実は深く関係している。

 その前に「不幸自慢」のことを確認すれば、正にこれこそナルシシズムの産物である。自分を「幼児的ナルシスト」と分析するわたしに「むしろ自己嫌悪という印象があるけれど」と指摘した人がいるが、自己嫌悪を露にするということは、要するに自己憐憫に耽っているということであり「不幸なわたし、思い通りにならないわたし」を演出しているにすぎない。
 想像的合わせ鏡のナルシシズムだ。

 恋愛は常に、
1 勘違いであり、それを「知って」いながら補正できず、かつ可能であったとしてもしようとしない。
2 思い通りにはならないが、「思い通りにならない」ということは「思い」通りである。
 それゆえ、原則としてナルシシズム的なものではあるが、一方で性器的昇華の契機を孕んでいるのは、「出会い損ね」が再現されているからだ。
 つまり「思い通りにならないそれは、これである」という具体化により、その他のことは思い通りにしてしまっていることを認めている。
 「思い通りにならない」ことは思い通りにしているゆえ、快楽を露にし、「不幸自慢」のナルシシズムを超えているのだ。

 重要なのは、すべてが思い通りにならないのではなく、少なくとも一つ思い通りにならないことがある、ということである。両者はまったく反対の意味を持つ。
 すべてが思い通りにならないことは、すべてが思い通りになるのとほとんど一緒であり、可能性という名のもとにすべてを留保し身を守る態度である。
 これを超え、有限の生へと不承不承進むことは、すなわち思い通りにならないことが少なくとも一つある、ということを体現することなのだ。

 次の三つを正確に区別しなければならない。
1 「思い通りにならない」という概念が世界に存在する。(「先験的」に見える形で。実際にあるかどうかはともかく、この概念を理性により想像可能である、ということ)
2 「思い通りにならない」ことが経験世界に存在する。(実際にそういうことが世の中にはある、とういこと)
3 自分にとって「思い通りにならない」ことはコレである、というものが存在する。

 以上の三つは、
1 クラス
2 インスタンス
3 インスタンスへの参照を代入した変数
 と考えると非常にわかりやすい。
 でもよく考えると、やっぱり全然わかりやすくないかもしれない。

 別の言い方をすれば、
1 神
2 過去
3 恋愛対象
 になるが、もっとわかりにくいかもしれない。

 要するに、恋愛とは「思い通りにならない」ことが(メモリ上に展開し)具体化したものへの参照を代入した変数である。この段階にいたってはじめて、わたしたちは「少なくとも一つ思い通りにならないことがある」ことを通じて、十分に快楽し、それゆえ死に至る享楽は回避する「オトナ」でありうるのだ。

 吝嗇と不幸自慢を超える重要な契機が、恋愛には含まれている。

この記事のカテゴリはカカリツケ


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