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2005年05月16日

他人の記憶を思い出す

 例えば、著しく異なる人格へとシフトした場合。
 「本人」のものであるはずの記憶が、常によそよそしい。
 「記憶喪失」の逆のようで、実は核心はほとんど一つだろう。「わたしが誰であったのか」についての違和感だ。

 そして、記憶は常に他人の記憶だ。
 思い出す時、そこに「わたし」はいない。いないものが「わたし」だ。
 ある風景に欠けている何かとして「わたし」は指定されるし、「わたし」が見える時、そこの「わたし」はいない。
 この明滅、夢における在不在交代が主体を示す。
 それゆえ、主体とは「それはわたしではない」という拒絶とともにしか現れない。

 他人の記憶しか思い出せない。あるいは、過去のない人間になる。
 ほとんどの人間が、社会的人格を喪失しないままこれをやり遂げている。
 一貫して一つの名を与えられ、認め、消え去った「わたし」もまた「わたし」と言う。つまり、明滅してもどこかで第三者が保証しているゆえに、主体が成立するのだ。

 敢えて「実際に」過去を消さないではいられない人間がいる。
 保証が足りないのだ。
 「わたし」が「わたし」でなくなっても、むしろそれゆえにこそ「わたし」は「わたし」であるのに、視界から消えたものは存在しなくなったのではないのか、という不信を拭いきれないのだ。
 そういう者が、過去を消す。

 いずれにせよ、彼/彼女は別の人間として同じ場所に帰ってくる。
 いくらか「治療」され、いくらかこの世界に慣れた人間として。

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