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2005年06月04日

勇敢な睡眠のための一メモ

 素晴らしいものに触れることで怒りを忘れてしまうのは不安でもある。
 だがその怒りもまた、オリジナルではない。
 何かを防衛し足を踏み出さないでいるための符牒にすぎない。
 すべての怒りは「義憤」であり、正当性こそが、快感原則のホメオスタシスを最も強固に守り抜くのだ。

 義憤という名の吝嗇を越えさせるのは、一人の証人である。
 熱力学の第一法則という揺り籠を出る時、普通ヒトは、それを見届ける者を求める。
 つまりは神という遍在性の代理人であり、メモリ上に実体化した(時間化した)構造への参照を示す変数である。
 だから結局、恋愛という具体性もまた卑劣な防壁にすぎないわけだが、流れ終わるという一点において、肛門的吝嗇を越えてはいる。
 それが何ほどのことか、という疑問はもちろん残しながら。

 実際、この代理人が背負っているのは既にconcreateされた流れであり、世界の構造などではない。
 それはわたしが何をしているのかを教えてくれるが、誰なのかを解き明かしてはくれない。

 ただwhatをもってwhoに代えるささやかな勇気と諦念、そして重要なことに、往生際の悪さを与えてくる、ということは忘れるべきではないが。


 わたしは何事につけ大げさに過ぎる。
 同じ場所にばかり戻ってくるが、この弱さだけが悪であり、問題のすべてなのだろう。


 今日はもう眠る。

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