帰化への帰化
本当のことを言えば、彼女たちとわたしが「同胞」なのは、何かを共有しているから(故郷...)ではない。
そもそも彼女たちの多くは「同胞」という考え方すらしていないかもしれない。
一部に「同胞」意識を無闇に称揚する人々もいるが、彼女たちの言う「同胞」はわたしの「同胞」とは少し違う。
わたしはたぶん、あの人々の「同胞」ではないし、彼女たちの目指す「コミュニティ」や「団結」には興味がない。
わたしは同胞に「なった」のだ。
彼女たちとわたしで、何かを共有していた結果、「同胞」という間柄が見出されたのではなく、あの子たちと「同胞」であるために、わたしは意識して何かを選択(あるいは切断)したのだ。
これは帰化の手続きに似ているが、正確に言えば「帰化者への帰化」である。
つまり、ある国家への帰化ではなく、「ある国家に帰化する人々」という集団に対して、帰化を申請したのだ。
「ある国家」にはそれほど興味がない。
この国の「真の国民」になりきれる日など永遠にやってこないし、その場所が棄ててきた国より本質的に優等であるわけではない。わたしは旅商人であって、居心地よくビジネスができれば、永住者たちの税負担や福祉がいかほどであるかは、興味の対象ではない。
ただ、「あの国家に帰化する人々」には大いに心引かれる。
理由を問われて窮するほどに、それが始まりにあった。
強いて言えば、わたしは美しい旅人を愛しているし、故郷を持たないものの<故郷>にノスタルジアを抱く。
だから、わたしは申し出たのだ。
「あの国家」への帰化に見せかけて、「あの国家に帰化する人々」への帰属を。
存在しない<故郷>に、血の兄弟を求めて。
旅先での売春、オンナであること
社会的に存在してしまうことの気の重さ。
観照の快楽から去勢されることによってこそ、fadingする対象として経済に参戦するわけだが、これは実に、実に実に、気が重い。
一方で、旅人であれ異邦人であれ、何らかの形で交流を保たないわけにはいかず、そもそも旅費を調達する必要がある。先進国は物価が高い。
そういうわけで、モノであることを諦めきれないある種の人々は、神経症的ではなく精神病的な様々な戦略を考え出す。
例えば、パートタイムの売春婦。
2006年03月01日熊を巡る想定とルール
それゆえ、重要なのは、従者が熊の元へ導いていると見せかけて熊を避けている、ということではない。
従者は熊を避けたいが、そもそも熊の居場所など最初から知らない。
すなわち、従者は熊への導き方はもちろん、避け方も知らないのだ!
従者が従者であり得るのは、王子が従者は知っていると信じているからだ。
熊のことは誰も知らない。ただ熊だけが知っている。
熊と出会いたい者も避けたい者もいるが、結局のところ出会う方法も避ける方法も誰一人皆目見当もつかない。
ただ様々な想定とルールだけが存在する。
熊が好むと言われる食べ物、熊が苦手とされる打ち物、就寝前の儀式、守るべき倫理規範、手を洗う回数、バランスの取れた食生活、適度な運動・・・。