英雄
実は、英雄だけが英雄なのだ。
英雄になる可能性があったけれど英雄になれなかった者にとっても、英雄になる可能性を剥奪された者にとっても。
ところが、常にこれは「権利」の問題へと誤読されていく。
英雄になる可能性を剥奪された者は、英雄になる「権利」、英雄の可能性こそが問題だと考える。そのため、自分たちには最初から決定的な不足がある、と考える。権利さえあれば状況が変わると思う。
一方、英雄になれたかもしれない者は、その「権利」こそが自らの劣等感の源であると考える。可能性が初めからなければ、英雄でないことによって苦しむこともなかったのに、と。
ところで、英雄は実在するのだろうか。
2006年05月10日理由に合わせて既に起こってしまった結果を調整する
不参加者こそが最強のワイルドカードであって、この空白がどこに打ち込まれるかに経済は支配されている。
そういうわけで、このカードを持つものが<過剰>に、持たざるもの、つまり自らがある種のカードとして市場に投入され得るものは<不足>に、その症候的特色を示すというのは、わかりやすい理解ではある。
しかしこれらの症候が成立するのは、あくまでカードがカードとして(受け入れられはしないものの)導入されているからだ。
カードの次元が省略されたまま、過剰と不足だけがある、という事態がある。この過剰と不足は、それゆえ、模倣によって学習されたものである。
だから、理由が問題になる。
この過剰さ、沸き立つような名づけの力、その由来を語れる理由が問われる。
過剰は翻って理由の不足となり、不足は理由の過剰を装う。
その解決法の一ヴァリアントとして、理由の不足に合わせてカードを調整する、という方法がある。
2006年05月04日母の解剖
負債の完全返済。引き返し不能地点。現実的な閾。
帰化した女たちが唯一許可する男。顔のない巨漢。
「強さ」の幻想による防衛をすべて解除した後に残る絶対零度の力。