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2006年09月30日

不足

不足が欲望を生むのではない。
欲望は過剰から発生する。
灯籠のように原油を燃やす石油精製施設のように。
欲望は過剰により常に余白に書き込まれる。

では不足がもたらすのは何なのか。
システムの内部に何かが足りないとき、それを(保障されない)外部から調達す
るよりは、システム自体を不足に合わせて緩やかに変形させる方が確実である。
つまり、系の「代謝」を低下させていく。
しかし不足自体が解消されたわけではなく、不足は「抑圧」され、澱のように何
かが蓄積されていく。
それは「余りある不足」という過剰であり、もうひとつの欲望の源泉だが、一度
「ないもの」とされた不足から二重否定的にやってきたそれは、公の引き受け先
を持たない。
欲望の責任が否認されるのではなく、それは本当にわたしの欲望ではないのだ。
これが第三者の欲望であり、男たちが国敗れてなお残ると信じる山河の欲望であ
る。
もちろん、山河は絶対的に存在するのではなく、ある角度から眺めたときだけ突
然に現れる隠し絵にすぎないのだが、「彼女の見ている方向」が世界を駆動して
いるのも確かだ。
何を見ているのか知ろうとした男は、必ず彼女と同じ方向を一度は見るからであ
る。そこに何も見えないとき、彼は何とか見つけようとして、時に視線を彼女に
戻し問いかけ、遂に「きっと何かがあるのだろう、俺には見えないが」と諦める。
これは祝福される諦念であり、良き信仰の証である。
一方、「何もないではないか、気狂いめ」と怒る男もいる。

ところで、わたしたちの手を離れてしまったこの欲望が、一定の落ち着き先を見
つけ、不足が(不完全にせよ)満たされるときがある。
システム自体が内的に変容し、新しい債務者が出現したときである。

2006年09月28日

転換

 不足の獲得。

 決して「本来の場」の取得あるいは回復ではなく、相補的な場への移行でもなく、完全体となることでもない。
 だが、これらの中で最も馬鹿げて見える最後の幻想には、意図を裏切る真理がある。
 不足に困らない者、余剰を持て余すことのない者は、「丁度良い」からだ。

 ところが、そのような者とは、彼あるいは彼女が元々そうであったものなのだ。
 ただ、過ぎ去らないことにはそれとして見出すことができない、というだけで。

2006年09月26日

眠り

 さしあたって、温まることだけを考えていれば。

2006年09月26日

異性

 異性とは<わたし>のことである。

 二種類の性別があるわけではない。まして、二種類の人間がいるわけではない。
 人間は常に一種類である。
 それは「わたしたち」だが、「<わたし>-たち」なわけではない。
 つまり、じゃれあう男子高校生たちの群れ、あるいは化粧室の女子高校生たちだ。
 「わたしたち」人間は、そのような他我的モデルのことであり、蝋人形のようなげっ歯類の一群である。
 <わたし>でも「わたしたち」でもないものがいるが、それは誓いを立てる相手であり、その想定によって「わたしたち」が成り立つ星座だ。

 常に性別は一つであり、<わたし>と「わたしたち」と<他者>の関係だけがある。



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