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2006年10月19日

騙せてしまう

 致命的なのは、嘘や演技を見抜かれることではない。
 最後の一人までもが見事に騙されてしまうことだ。
 「暗黙のメッセージ」が誰にも受け取られることなく、「真意」を解釈してくれる者が一人も残らないことだ。

 絶対的な第三者が不在であるなら、人は自分の演技に責任を持たなければならない。
 この演技とは、気がついたときには背負わされていた債務のことである。
 それゆえ、「演技しない」という選択肢は実体を持たない。
 演技する主体に、演技が先立っているからだ。

 しかし、事態が単純でないことには、例えわたしたちが演技せずに「真意」を言明することができたとしても、それが「真意」であることを保証するものが何もない、ということだ。
 つまり、いずれにせよ「真意」は受け取られない。

 <わたし>が誰も騙していなくても、必ず人は騙される。

 問題は振り出しに戻る。
 たとえ最後の一人までもが騙されることがわかっていたとしても、わたしたちは最後の一人を信じなければならない。
 そうでなければ、わたしたちは嘘をつくことすらできない。

 背負わされた債務は、その総額すらわからず、返せる当てもないが、返せると信じなければ、債務を背負うことすらできない。

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