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2007年03月02日

「ない」すらない

 ところで、「ない」があるか、あるいは「ある」があるか、いずれにせよ何かがある、とするなら、「ない」すらない、とはどういうことか。
 それは端的にない、というのが象徴経済であり、その外部を語ることはできないが、にも関わらずやはり「ない」すらない、は<どこか>にある。
 つまり<それ>を持っていないがゆえに「ない」を所有している、というありようではなく、「ない」すらない、というような者である。
 実は、<それ>を持つ者、「ある」がある者、彼らにはこの者たちが見えない。
 彼らの住む世界には、そのようなものは端的に「いない」のだ。
 一方、彼女たちが見える者もいる。
 この者たちには、彼女たちが見えないという状態がよくわからない。ただ彼らには見えていない、ということを「知っている」。

 この「ない」すらない者、彼女たちは<女>ではないが、それゆえにこそ、最も女である。
 女とは言えないほどに、女なのだ。

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