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2007年03月03日

<移行>の本質、隠れる

 もうはっきり言ってしまうことができる。
 <移行>の本質は、何かを「隠した」あるいは「隠れた」ということだ。
 ただ、本当のことを言うのは気がひける。というのも、「隠した」と言うと、隠れたものこそ本質だ、と取られかねないからだ。
 つまり<本当>は背後に隠れ、目に見えるものは<見せかけ>だ、と短絡的に理解されてしまうのだ。
 もちろん、事態はそれほど簡単でも想像的でもない。
 しかし、「隠した」あるいは「隠れた」当人すら、そのほとんどが<本当><見せかけ>という型に振り回されている状況では、深く美しい理解と探求など期待できるわけもない。

 「隠れた」にせよ、重要なのは隠れた「何か」ではない。
 何であれ、何かが確実に隠されていることが本質なのだ。
 つまり、「『本当は』ある」ものたちのうち、あるものは「ある」という形であり、あるものは「ない」という形である、ということだ。「ない」という形である、ということが「隠れる」ことである。
 そして一つのものが同時に「ある」という形でと「ない」という形であることはできない。
 逆に言えば、隠れていようと隠れていまいと、それらはある。
 真理は部分的だが、なくなってしまったわけではない。
 何かが「隠れる」とは、真理を保証することだ。

 常に部分的にしか顕かにならないことにより保証される真理。
 誰かがこの真理のために隠れた。
 もちろん、なぜこの者たちだけが隠れなければならなかったのか、という疑問は残る。
 この問いが開かれている限りにおいて、誰であれ誰かが隠れたことが、真理を保証する。

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