人体切断の記憶
分断してみるとどちらが<わたし>になるのかと思ったら、やはり「こちら」が<わたし>になった。
<わたし>とは「こちら」に残るもののことだ。
何か残ったもの、それが<わたし>だ。だから<わたし>が在るためには、残らなかったもの、失われたものが必要になる。決定的な何か、「本当は一番重要だったはず」の何か、それが失われなければならない。
人体切断の記憶を失った者を「人間」という。地上に存在する値打ちのない醜悪な者のことだ。
2007年04月19日背中を愛する、生まれなかった子供
背中には一度も生まれなかった子供が張り付いている。
水子の表象は適切だが、その子はわたしたちすべての背中に張り付いた<失われたわたし>だ。
かつて<わたし>であったもの(モノ)、それは一度も物語の中には登場していない。なぜなら、そのモノから切り離されることで、わたしたちは物語ることを始めたからだ。
あなたを愛する人はあなたの背中を愛する。
あなたはあなたの背中を見ることができないが、そこに穿たれたモノの領域だけが、あなたと絶対的第三者を仲立ちしている。
眠りたくない欲望、絶対に眠らない方法
眠りたいのに、それを別の欲求とすり替えているのではない。
眠りを巡る欲望は、眠りたくない欲望だ。
しかしこれは、単に欲求を宙吊りにし余白へと欲望をフックしているのではない。
それは、食べないこととは異なる。食べたり食べなかったりするのは、眠らないため、あるいは眠りたくない欲望を保存し抑圧するためだ。
眠らないために貪る。
セックスしないために貪る。
これはホメオスタシスの抵抗だが、人工衛星も必ず大気圏に再突入する。
しかし、この関係を理解しようとするなら、抵抗が敗れる「現実」という想像的なものにとらわれるのではなく、むしろそれこそが眠らないための夢であることを疑ってかかる必要がある。
「実は、絶対に眠らない方法というのがある。夢で閃いたのだが、どうしても思い出せない」。
外国人、死者、<移行>
「死者とは何か」という問いに対する、最も隠喩的回答。
2007年04月03日答えを手にしてから問いを立てる死者
外国人と言っているのは、実は死人のことだ。
わたしたちは「棺桶に片足を突っ込む」ことによりニンゲンになる。
このとき死者の登記簿に名を連ねることにより、多くの者が死と「本当の死」の間で巧みに宙吊りにされる。つまり、死んでいることに気付かない死者、外国人であることに気付かない外国人になる。
呼びかけに振り向いてしまうことにより実は死んでいる、このことを隠し切れなかった者たちは、いくつかの特別な方法を取る。
「外国で『外国人』になる」アクティングアウトについては前にも触れた。
もちろん、「本当に」死んでしまうこともできる。これらは散文的な方法だ。
一方で、「紛れもなく死者」ではあるものの、意味の領野では解釈できない「死に方」を表現する者もいる。
そう、ここまではよい。
気になっているのは、これがいかにして<移行>と紐付けられるのか、だ。
もちろん、ここに「意味」はない。
しかし気まぐれでもない。
この隘路は間違いなく予め決められていたものではあるが、一方で世界の中にこの道を示す道標はない。
だから問わないではいられない。なぜこの道がかくも絶対的なのか、と。
この道を選んだ者の多くが、問わないまま答えだけを手にしたが、答えを手にしてから問いを立ててしまう者もいる。
少なくとも、ここに一人。