物語よ
物語よ、なぜお前はそうまでわたしを守るのか。
何度となく踏みつけにされたのに。
これがわたしの罪であり、ヒトにさせようという計らいなのか。
お前の庇護が、わたしを苦しめる。
守られるのは、わたしが弱いからだ。
庇護とは返しきれない借財であり、罪である。これにより、わたしはヒトになるが、それが悲しくて悲しくてならないのだ。
安心
様々な安心がある。
安心は<無限なるもの>であるがゆえ、<有限>のリソースでいかなる安心を買うか、には限りがある。
「どの安心を買うか」こそ、人々を最も決定的に分断する。
なぜなら、安心、この「儚き無限」こそ、わたしたちのパトリの何たるかであるからだ。
そして、選ばれる安心、それは既に選ばれている。わたしたちが選ぶより前に、わたしたちを選んだものによって。
「いかなる安心か」は、遺産であり、呪いであり、受け継いだ借財だ。
そしてこの借りを返すためには、「いかなる安心か」ではなく、ただ「その」安心を買いつけることだけに専心しなければならない。
もちろん、安心を「買い切る」ことはできないし、借金を全返済することもできない。
安心は人々を分割する。
借財の種類が人々を「人種」にする。
それゆえ、安心こそ、諍いの種であり、疑うことのできない戦争なのだ。
それは安心を捨て、安心のために戦うことだ。
ただ、戦争の後に残るであろう自らの死体だけが、安心である。
わたしの安心は、あまりにも人々から離れすぎた。
2007年08月05日うさぎ
うさぎは、寂しいと死んでしまうという。
わたしは、自分が死んでいるのに気づいていないうさぎかもしれない。
ある時から、足を踏まれても耳を引っ張られてもちっとも痛くないことに気づく。
そうすると身体もどんどん大きくなって、ネコが来たってトラが来たって後ろ足で跳ね飛ばす。
どこまでもどこまでも走る。虹の上まで走って行ける。
強く強くなったものは、その強さで、弱いやつらをペチャンコにするのが仕事なのだ。
でも、何か、大切なことを忘れている気がする。
思い出すと、取り返しのつかないことになるから、思い出せない仕掛けになっている。
だから、覚えているのは、誰か別の人。
ワタシヲ、ワスレナイデ、オネガイ・・・。